「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

2017-01-01から1年間の記事一覧

『邪魔になったサンタクロース』

*2015年12月 第四回目の「超ショートショート講座」で作った自作ショートショートです。 『邪魔になったサンタクロース』 作・わたし 時は2015年、師走。 年の瀬がせまる夜の街。 街路樹は煌びやかなイルミネーションに彩られ、街ゆく人々はあと数日にせま…

縁は異なもの味なもの

(この文章は2016年11月に書いたものです。) 人との出会いほど面白いものはない。 人とのご縁とは本当に不思議。 縁は異なもの味なものとはいうけれど。 (ここでは男女に限らず、全てのご縁、人脈に関して) 本当にそーだなと思う。 老若男女、国籍問わず、 色…

球根

(この文章は2017年1月17日に書いたものです。) 唐突ですが、私は球根がすきです。 なんか、かわいい。 ぽこっと丸くて。 手のひらにおさまるサイズも。 仲間みたいな、どんぐりとか木の実とか種とかお豆もすき。 つぶつぶ。丸いこたち。 やっぱり、かわいい…

一対一野球の手の抜き方

(この文章は2016年11月に書いた文章です。) 以前、「一対一野球」という、甥っ子が小さい頃によく野球の遊びと称した練習に付き合っていた話を笑いを込めて書いたのですが(一本前の11月30日の記事)、そういえばと、思い出したことがあります。 それは、”一対…

一対一野球

(この文章は2015年3月に書いた文章です。) 野球といえば、甥っ子のやまと。 地元の少年野球チームに所属していて、毎週末になると朝早くから練習に試合にと頑張っているらしいです。 なにやら随分上達したようで、なかなか活躍しているらしいのですが、、、 …

”死への抵抗”から”死の受容”へ、そして”今を生きる” 私的 ボルタンスキー考 その2

(この文章は2016年11月1日に書いたものです。) 春から始まったボルタンスキー作品を巡る、巡礼の旅の締めくくりとして、秋の巡礼の旅の地”豊島”に、再び訪れました。 春季と同様、自転車にて、風を感じながらの自然豊かな島巡りを満喫しました。 秋の豊島は…

”死への抵抗”から”死の受容”へ、そして”今を生きる” 私的ボルタンスキー考 その1

(この文章は2016年10月28日に書いたものです。) 今年は、瀬戸内国際芸術祭の春季で、ボルタンスキー作品の「心臓音のアーカイブ」に出会って以来、秋分の日から始まった東京都庭園美術館での個展へも足を運ぶことになり、知らず知らずのうちに、何故か、ボル…

あきちゃった天使

(以前作ったショートショートです) なんかさぁー、 あきちゃったんだよね、天使。 まず、羽。 飛ぶのがさ、けっこう重いわけよ。 飛んでばかりいるせいか、 足が退化しちゃってねぇ。 足腰きたえないと 寝たきりになっちゃう。 まぁ、なかなか年もとらないか…

自立

ダブルバインドの連鎖 ピラミッド型社会 力の奪い合い 不信感と不安感 そういうのなんかしんどいね。 正義感からの怒りのエネルギーは パワーは強いけど 最後には 自分にも毒がまわって、 自分も焼き尽くしてしまうね。 もう そういう原動力は 卒業したいな…

一番身近な自然

(*2016年2月に書いた文章です) 自然と向き合う。自然のなかで暮らす。 そう問われた時、大抵は、木とか森とか山とか川とか海とか、そこに暮らす野生動物とか自然環境保護だったり、都心での緑化とか家庭菜園、ナチュラルライフ的なことを思い浮かべることか…

私の太陽

(*2015年7月に書いた文章です) 昨日は土用の丑の日でした。 確か、暑気払いとして、うなぎを食べるということだったか。 いよいよ夏本番の暑さになってきた。 白昼、ジリジリと照りつける陽射しが肌を焼き、汗がじわりと吹き出し滴り落ちる。 緑は青々と繁…

善玉菌と悪玉菌

ドス黒さを ちゃんと飲み込んだ ドス黒さの そのドス黒さを あぁ、ものすごいドス黒ーいと 認めちゃったら なんだか少し スッキリした あるものを ないものになんて できないし 黒いものを 無理矢理 白いものに する必要なんて ないんだ 善玉菌と 悪玉菌 両…

玉虫色

心、 体、 感情、 状況、 日常、 時間、 空間、 夢、 私を構成する 色んなものの 砂つぶが 水の中を 断層のように 虹色に重なりあって 入っている 私という小さな器 大きくてするどい匙が 断層を突き崩すように 底辺から かき混ぜて 虹色の層は崩れて 色とり…

一瞬の瞬き

Twitter、Facebook、Instagram、ブログ…今の時代欠かすことのできないSNS色々。 老若男女、公私、喜怒哀楽、個々人が思い思い、どこに届くかもわからない、どこに届けるわけでもなく、毎瞬毎秒、つぶやき、洩らし、語り、吐き出し、何かを電波にのせて表現し…

からだがあるわたし。その4 弱さという強さ②

私は長年、生まれながらの虚弱体質から脱却すべく、今まで色んな方法で体質改善を自分なりに試してきました。 けれど最近になって、本当は「方法」よりも「在り方」の方が大事なんじゃないかなと、思うように至りました。 今までの私は、確かに、身体に良さ…

からだがあるわたし。その3 弱さという強さ①

私には長い間、身体的劣等感があったように思います。 それは外見的なものというより、「元々もつ身体の力が弱い」という劣等感。 元々私は小児喘息持ちで、季節の変わり目などには必ず風邪をひき、その度に喘息の発作を起こし、いつも学校を休みがちな虚弱…

からだがあるわたし。その2

すごくややこしい話をする。 もしかしたら今までの私は、「身体がある」という意識がとても希薄な人間だったのではないかと、最近 やっと自覚した。 というより、無意識に「身体がある」ことに抵抗し続けてきたのかもしれない。 それは何故かと考えてみたら…

からだがあるわたし。その1

最近、私の心が私の身体と仲直りし始めているのを日々感じている。 なんじゃそりゃ?って思われるかもしれないが、仲直りって言葉が一番しっくりくる表現だから、その通りにとりあえず書く。 私の心が私の身体さんに「ただいま〜」と言って、私の身体さんが…

じゆーだ!

たとえ 一瞬の 夢だろーが、 幻だろーが、 仮初めだろーが、 私の世界は 全部 ホントーだ。 嘘も、 誤魔化しも、 逃げも、 隠れも、 したくない。 どんな環境でも、 どんな状況でも、 ホントーは じゆーだし、 全部自分の心次第。 私は私だ。 遊べー! 楽し…