「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

自然界はシンメトリー。写真家・今森光彦さん『自然と暮らす切り紙の世界展』に行ってきました!

今日、たまたまテレビをつけたら写真家の今森光彦さんがトーク番組に出てらして、つい嬉しくて見入ってしまいました。大好きなんです!

 

生き物への愛に溢れてる!

フィールドワークが楽しい!

わくわくする!

 

いーなぁー!

わたしもフィールドワークしたいなぁ!里山に住みたいなぁ!できればミニ里山開墾してそこで実ったものを食べたり絵を描いたりしながら暮らしたいな!もっと知らない土地に出かけて、色んな人に出会って、虫とか花とか生き物見つけて愛でたいなぁ!女今森さんになりたいなぁ〜〜。って、思いながら見てました。ははは。

 

面白いなぁって思ったお話が、日本の里山について、「熱帯雨林は大きな歯車みたいなもので、一ヶ所ダメになると一気に崩れるけれど、日本には星の数ほどに小宇宙のような小さな里山がたくさんあって、細かくそれが集まって日本ができているから本当は強いんです。」という内容。

 

海があるところも里山とお考えだそう。

北海道から沖縄まで縦長の地形の、海もあって山もある日本。きっと知らないだけで色んな里山がてんこ盛りなんでしょうね!そんなに面白い場所がたくさんあるのに、このまま知らないで終わっちゃうのはなんかもったいないなぁ〜。

 

今まで見逃しちゃったけど、今森さんの監修の里山の番組全部みたくなりました。そして、行ってみたいな!

 

去年、日本橋にて今森さんの切り紙の作品展に行った時の感想を書いたことを思い出したので一緒にアップします。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 (*2015年5月に書いた文章です)

 

GW中に日本橋三越にて開催されていた、写真家の今森光彦さんの展覧会『自然と暮らす切り紙の世界展』に行ってきましたので感想を。

 

写真家の今森光彦さんは生まれ育った滋賀県の琵琶湖を望む田園にアトリエを構えられています。そして、世界各国を訪ね、生物の生態を追求し広く世界の辺境まで取材をされています。又、里山保全活動や幅広い野外活動などもされていらっしゃいます。

 

今森さんのもう一つのお顔は「切り紙作家」。今回の展示では、平面から立体まで約300点程の切り紙作品を展示されていました。


ちょうど今森さんのトークショウのタイミングで、ご本人から制作についての色んなお話を直接聞くことができました(^ ^)


先ず、ご自身のアトリエは自ら土地を開墾して元々あった檜を伐採し、クヌギやコナラなどの雑木林を植えて、里山の生態系を作られたとのこと。そこには色んな虫や花が育っているそうです。


そして、そこに住む虫やお花などを主にモチーフに切り紙を制作されているそう。


切り紙作品はどれもハサミ一本だけで作られたというのだから驚きです!


カッターなどは一切使わないそうです。


基本的には、切り紙は紙を二つに折ってシンメトリーに切り上げるそう。
それが今森さんの切り紙の原点。


なぜなら、自然界は左右対称のシンメトリーで構成されているから。


虫も魚も鳥も花も葉っぱもなんでもシンメトリーですものね。


うん。ほんとに。


歳時記を彩る自然のモチーフの切り紙もたくさん展示されていました。


花、雪、野菜、栗、兜、鯉のぼり、お雛様、鶴、海老、、、


そして、白地の背景に色紙を何枚も重ねてコラージュのように作られた切り紙作品は少しデフォルメされた形が面白く色鮮やかで躍動感にあふれ圧巻でした。

 

今展示作品の図録のトケイソウとハチドリの切り絵。美しかった!


こちらの作品は、シンメトリーに切り上げる切り紙とは違い、しっかりとしたスケッチと”計画”をもとに制作されるとのこと。


なるほど、なるほど。


形のデフォルメ、影の色合い、花と生き物の構図と画面構成。綿密な計画がないと仕上げられないですよね。

みていてワクワク。

ほんとに素敵でした~。


唯一の立体作品の昆虫の立体切り紙。
楽しかったなぁ~!


ヘラクレスオオカブトノコギリクワガタ、カブトムシ、オオムラサキアサギマダラ、、、

今にも羽を広げて飛び立ちそうな色とりどりの41匹の虫たち。


ずっと眺めていたかったなぁ。

自分も作って愛でたい!

なので作り方の本を買ってしまいました!

夏休みになったら、甥っ子姪っ子たちと作って遊ぼうかなと今から楽しみにしております。


今森さんの住んでらっしゃる滋賀県は、二番目の姉一家が数年前に住んでいたこともあり、しょっちゅう遊びに行っていたので、とても身近に感じる場所です。よく琵琶湖近辺や信楽にも行きました。懐かしい。


そんなことも思い出した展覧会でした。


今森さんの今後の里山や生態系保全の活動にも引き続き注目していきたいと思います。

しろめとよりめ

子どもの遊びについて。

 

子どもたちの遊びといえば、以前、甥っ子姪っ子の間でやけに白目や寄り目が流行りまくっていたことがありました。


…「あー、やったやった~。昔よくやったわぁ。こどものやることは世代がちがってもホントにかわらないなぁ~。。」


と思いながら、叔母のわたしは、しばし白目な彼らをみておりました。


ただひたすら白目になって、ちゃんと出来てる出来てないをいちいち張り合い、どっちが上手いか、すぐできるか、ちゃんとマスター出来るまでただひたすらずっとやってるんですけどね。。


白目に命懸けのそんな彼らを横目に、ひそかに私は思っておりました。。


…「ふふふ、、まだまだね。。」
( ̄ー ̄ )☆クスッ


ええ、ええ、

私も小さい頃、ひたすら練習しましたから。白目にかけては彼らの先輩です。


自分でいうのもなんですが、結構得意ですし。


…って全然、羨ましがられませんし、自慢にもなりません。でも得意です。単に目が大きいので白目の部分がみえやすくやりやすいだけなんですけどね。


(。-_-。)ぽ

 

「できるよ!ほらみてみて!」

と、こどもたちが次々に自慢気に白目&寄り目を披露してくれたのですが、そのうち


「めめもできる?やってみて!」
と、ご披露する流れに。。(ーー;)


(私は目が大きいので、彼らから”めめ”と呼ばれております。)


「ふふん」と、自慢気に格の違いをみせつけ、請われてもいないのにコツをレクチャーもしてあげました。

「おーー!すごいすごい」と大喜びの彼らは「もう一回やって~!」とすかさずにアンコール。


Σ(゚д゚lll)はっ


…(し、しまった、、、)




…こどものアンコールとはエンドレス。。


エンドレス白目かっ!


…(ーー;)調子にのるんじゃなかったな。。仕方ない、やったるか、、、

 

その日、サービス精神旺盛な私はこどもたちを喜ばせるために白目と寄り目をやりすぎて、普段使わない目の筋肉の妙な筋肉疲労に気分悪くなりかけたのでありました、、、


おやめなさいって、、、(ーー;)


子どもって、自分たちの中で遊びが流行っちゃったら、ひたすら飽きるまで何度も何度もエンドレスでやり続ける生き物ですよね。


意味がないような事をひたすら反復してやります。


私もそんな無意味な遊びをたくさんしました。


昔、ある日の私も一日中部屋の中で、両手を広げながら友達とずっとぐるぐる無言で回ってました(^_^;)

だんだん目が回ってバランスを崩して床に仰向けになって、ぐるんぐるんになった感覚を楽しむってことを何度も何度も感覚がもどったらまたやるという、そんな遊びだったんですけどね。。


だから、エンドレスで楽しむっていうのがわからんでもないので、子どもに付き合う時はトコトンこちらも夢中でやってしまいます。


…しかし、


…白目はもうしばし、いっかな、、、

(^_^;)

ゆめ・まぼろし

私のブログのタイトルについて若干突っ込みを入れたい人がきっといらっしゃるのではと勝手に思いまして、今日はタイトルについてちょろっと書いておこうかと思います。

このブログのタイトルは『いいゆめ・ゆし・きぶん。』とつけております。

きっとみなさん、某テレビ局の旅番組『いい旅、ゆ○気分』のタイトルのパクリだなとクスッとなさっていることでしょう。


はい。その通りです!


ええ、ええ、若干もじりました。もじりましたとも!(あっさり白状)

いや、なかなかいいタイトルだとおもうのです。あの番組みてるだけでちょこっと旅した気になってなんだかほのぼのしますし、ちょっと休んで温泉でもつかるかなんて肩の力抜いて旅したくなりますしね。まさに『いい旅、ゆめ○ぶん』だと思います。

たまには雑多な日常を忘れ知らない土地にふらり旅にでて、非日常的な夢のようなひとときを味わう。。

そんな気分で見てもらえたら嬉しいなという意味もあります。


「ゆめ」


夢といえば、昔、国語の授業で習った、ある漢詩を時々ふと思い出します。

荘子の『胡蝶の夢』です。

中国、戦国時代の思想家、荘周が夢をみて、夢の中で蝶となりひらひらと飛んで大いに楽しんでいたところ目が覚める。果たして自分が蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶のみている夢なのか…

という内容の有名な説話です。

「蝶」「夢」

学生の頃の私にはなぞなぞみたいなつかみどころのない不思議で儚く美しい世界観が印象的でした。

今も唯一覚えている漢詩です。
そしてとても好きな漢詩です。

「現実がホントなのか、
夢がホントなのか、区別がつかない」
「人生の儚さ」
そんなことの例えだったと思います。

仏教用語に「夢幻泡影」という言葉があります。人生は夢や幻、泡や影のように儚いものであるという意味ですが、人の一生はシャボン玉のようにきれいな泡がふわっと現れパチッと弾けて消えるようにホントにあっという間の出来事なのかもしれませんね。

時々ふと、「あれ?この間、お父さんと手をつないでスケートリンクで一緒に夢中で滑って楽しんでたよな(6才)」とか「あれ?この間、北海道の裏山で夢中になって魚とってたのにな(小3)」とかとか突然ついさっきの出来事のように思い出す事があります。

過去はいつの間にか凝縮編集され、まるで一晩の眠りにみた夢の如くになってしまうなら、きっと、今この瞬間もいつかそんな風に夢のような出来事としてふと思い出すのでしょうかね。

どうせみる一瞬の夢ならいい夢みたいし、私のみる夢は結局のところ私の気分次第。


…はい、戻ってまいりました。


というわけで、「所詮このブログは私のみている私の気分のゆめまぼろしです」という意味もタイトルにこそっと込めております。

そして、私のゆめを時々あなたのゆめのなかでみて楽しんでもらえたら愉快愉快。


ははは(^ ^)


一緒にいいゆめみてもらえますよう、コツコツ励みます。これからもどうぞよろしくお願いします。

日本人の鍋とインド人のカレー

だんだんと、寒くなってきましたね。

 

ちょうど、風邪やらインフルエンザやら、流行病が世を席巻する時期になりましたし、要らん流行りに乗らないためにも、こんな時は、暴飲暴食をなるべく控えて、栄養バランスのとれたあったかい食べ物を食べるに限りますね。

 

と、なると、やっぱり鍋でしょう!

 

我が家でも、流行り好きな母が、早速、風邪をひいたこともあり、連日、鍋が続いております。

 

まぁ、母の体調を理由にしてますが、単に作るのが楽だから鍋にしているだけなんですけどね。

 

鍋は本当に楽です!(力を込めて!)

 

あの丸っこい土鍋の中に、具材を切って放り込んで煮るだけですし、各自勝手にとって食べればいいし、取り分け合って食べるとなんか嬉しいし仲良しになれるし、あったまるし、洗い物も少なくて済むし、しかも一気に色々な素材を食べられるし、さっぱりしてるし、ホントに素晴らすぃー料理だと思います!

 

考えた人、ちょー天才。

 

さすがに同じ鍋がしょっちゅう続くと飽きますけど、鍋は、わりと、バリエーション豊富な食べ物なので、工夫次第では意外と連日続いてもいけるかも?なんて、思ってみたり。思いたくなったり。

 

水炊き、寄せ鍋、しゃぶしゃぶ、ちゃんこ鍋、桜鍋、深川鍋、ふぐ鍋、もつ鍋、あんこう鍋、きりたんぽ鍋、石狩鍋、トマト鍋、豆乳鍋、キムチ鍋、チーズ鍋、餃子鍋、、、

 

まだまだあります。

こんなにも種類豊富なんです。そういや、おでんも鍋なんですよね。

 

ちなみに、我が家はもっぱら水炊き派。

大抵、白菜・長ネギ・椎茸・しらたき・牡蠣・豆腐・鶏もも肉・鱈 を入れます。

あと、おでん、キムチ鍋、常夜鍋、きりたんぽ鍋が多いですね。常夜鍋が特に大好きなんですが、今はまだ、ほうれん草が高いので食べてません。早くほうれん草安くならないかな。

 

鍋アート的なものも流行りましたよね。

大根おろしで動物象って鍋に入れたりとか。ああいう楽しみ方も鍋にはあるから、鍋の世界は追求すればなかなか楽しいかもしれない…

 

きっと、連日鍋でも、色んなバリエーションを日替わりにすれば、「また鍋なの〜?」なんて、言わせないかもしれません。いつもと変わらない丸い土鍋の蓋を開ければ、見える鍋景色が毎度違うんですから。

 

蓋を開けたら、大根おろしのクマなんかが登場しちゃった日にゃ、きっとみんな、大喜びでしょう!まさに鍋マジック!

 

そうか、鍋は蓋があるからいいんだな。

開けた時のあのトキメキ…

しかも、丸の中にぎゅっと世界が凝縮しているのだものね…

 

鍋のバリエーションを自在に楽しめるようになったら、きっと、インド人のカレーみたいな認識に鍋が変わるかもしれませんね。

 

日本人からしたら、インド人は毎日毎食カレーしか食べてないように思えるけど、カレーというジャンルの、野菜料理、豆料理、肉料理、、って感じで、インド人にしてみたら、全部違う料理っていう認識なんですよね。

 

そんな感じで、インド人のカレー的に鍋料理が認識される日も近いかもしれません。(…大袈裟な。単に長ったらしい不精者の言い訳なのにね)

 

ちなみに、私はカレーが大好物です。

カレーなら毎週食べても飽きないです。

でも、インド人レベルで毎日食べるのはきっと無理だろうから、やっぱり、連日の鍋は飽きるなと、早々に気づきました。(はやっ)

 

よく考えたら、日本は和洋中、なんでもござれな国なんですものね。米もあれば、パンもあるし、うどん・蕎麦・パスタと、主食の守備範囲だけでもこんなにも広いですし。

そして、こんなに食事のバラエティーに富んだ国ってないんじゃないかな?ってくらい、色んな国の料理がフツーにどこでも食べられるし、家庭の食卓でも、和食以外の食事がフツーに定着してますしね。

 

そう考えると、日本の主婦って、実は凄腕シェフなのかもな…

 

折角なんで、和洋中、色んな料理を作って食べられる食文化豊かな日本に生まれし女子としては、時々、いや、しょっちゅう、鍋料理で程よく手抜きしつつ(笑)、色んな料理を作れる凄腕シェフを目指して、今日もせっせとご飯作りを楽しもうと、結局はこんな風に思うのでありました。

 

ただし、凄腕シェフになれるかどうかは、どうか期待しないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

織り込むように描きたい③

(*2015年12月に書いた文章です。)

 

漫画を描くことは私にとって、一枚の絵を描くことと同じくらい欠かせないことです。


ありがたい事に、最近は漫画を描くお仕事もちょっとずつさせていただけるようにもなりました~(≧∇≦)


もうちょっと漫画描くお仕事したいです!


漫画って表現はホント面白い!


実際には目に見えない「雰囲気」や「空気感」を、背景模様とか、極端に人や物をデフォルメしたりとか、コマのリズムとか、擬音とかにして描くことができますし。


三次元世界を、千切りするみたいに一コマ一コマ解体、分割して、そこから必要な瞬間だけを抜き出して、出来事のエッセンスを濃縮してコマに収め、再構成、編集しながら二次元世界に閉じ込めてしまうわけでして。


沢山のコマが集まって1ページになり、沢山のページが集まって一冊の本になる。


ある意味、漫画を描くことも一コマ一コマを編み込む機織りのようなものかもしれませんね。


アニメーション制作なんかは、まさにそうで。


何百、何千、何万という絵を繋げたものが、一つの美しい映像作品になるのですから。

そうやって、気が遠くなるような作業によって命を吹き込まれた作品は、本当に素晴らしい。


神聖ささえ感じます。


故に、アニメーション制作は非常に精神力、根気のいる仕事なのではないかと思います。


そもそも私たちが生きている「人生」がパラパラ漫画みたいですよね~。


1分1秒という瞬間の時間の積み重ねたものが人生なのだから。


私たちの人生を一秒単位で解体して、パラパラ漫画に作り変えたのなら、ものすごい膨大な枚数の絵が必要になるでしょう!


その紙を繋ぎ合わせたら、地球を何周できるだろう?


距離にしたら、どの惑星まで辿り着けるだろう?


あまりにも果てしないので、とりあえず1日一枚とカウントして、一生を仮に一年365日×80歳としても29200枚。かなりの枚数を使ったパラパラ漫画になりますね~。


ところで、私は古代マヤ人の使っていた暦を元にした13の月の暦というカレンダーを、かれこれ15年くらい使っていているのですが、(実は暦オタクです。(^_^;))


そのツォルキンという260日周期のカレンダー、まるで、織物みたいなんです。
(^.^)


1日1日を織り込んで260日で一枚のカレンダーという布を作るような世界観。


美しいです。


あ、ちょうど今なら、カウントダウンしながらクリスマスシーズンを過ごすアドベントカレンダーの世界観がよく似ているかも。


毎日を織物を織り上げるように大切に過ごし、自分の人生という布を織り上げたら、お祝いをするという美学といいますか。


古代マヤ人カッコいい~~!


ならば、織り上げる前に「私の人生という布」のデザインを考えなくては。


これからの人生を、

どんな色の、

どんな柄の、

どんな肌触りの布にしてみたい?


この世の人生を全うし肉体という一枚衣を脱ぐ時に、「私という人生の布」はどんな風に織りあがっているのだろう?


「ところどころほつれもあるけれど、味がある愉快で美しい布に仕上がったね!」
と、棺桶にて言いながらお祝いできたらいいですが!(笑)

 

あ、そう言えば、水木先生の奥さまのお名前は布枝さんでしたね。


朝ドラ「ゲゲゲの女房」の人物像や、テレビから拝見したお姿から、お名前の布のようにほわっとあたたかく包容力をお持ちの素敵な奥さまだなぁ~と、女子としては憧れる訳なのですが、


水木先生・布枝さんご夫妻から、中島みゆきさんの「糸」という歌を思い出しました。


いい歌ですよね~。


「~♪縦の糸はあなた、横の糸はわたし」というフレーズが有名ですが、


今では結婚ソングの定番になってますね。


自分は、老若男女出会う人みんなが私にとっての縦の糸と捉えたい!(笑)


そうやって、出会う人みんなと

縦に横にと色とりどりの糸を

織り込むように

交流していけたら

楽しいですよね。

 

きっと、すごく柔らかくて、

あったかくて、

優しい布になると思います!


(^ω^)

 

そんなわけで、布になぞらえたお話、綺麗にまとまったところで終わりにしたいと思います。

 

これからも、織り込むように描きたいな。

織り込むように描きたい②

(*2015年12月に書いた文章です)

 

自分の絵は織物みたいなものかもと、書きましたが、、

よく考えたら私はちいさな頃から模様のような絵ばかり描いておりました!


それはなにかというと、漫画の背景の模様。

 

漫画っ子でしたから。


小さい頃は空気を吸うみたいに、三度の飯的に漫画ばかり描いてましたし。


やはり、漫画の影響は大きいです。


私は末っ子なんで随分早くから、姉たちにまじって字も読めないのに訳も分からずに漫画を「読む」否、「見て」いたので、

漫画特有のコマ割りとか、吹き出しとか、擬音とか、背景の模様とか、大袈裟な表現とかが、面白くて、面白くて!

それで、あれを描きたくて。


なので真似から入って、そのうちオリジナルの物語を作ってよく描いたものです。。


楽しかったですね~。

 

ところで、漫画といえば、昨日突然届いた漫画家の水木しげる先生の訃報。


昨日は色んなメディアが、水木先生の訃報のニュースで持ちきりでしたが、


水木先生といったらやっぱり妖怪。


我々は「ゲゲゲの鬼太郎」をみて育ちましたからね~。


初めは訃報のニュースにガーン!だったのですが、


その後、先生はご自身が描かれていたような妖怪の世界にただ戻っちゃっただけなのかもしれないと思ったら、寂しいという感じじゃなくなんとも自然な感じがしたといいますか。


あの世とこの世を繋ぐような名作を数多く残された先生だからこその説得力かもしれませんが不思議ですね。


なので、あの世とこの世はそんなに遠くにあるわけじゃないのかなぁと感じたり。


あの世は見えないだけで一枚膜を隔てたくらいのすぐ側のものでしかないのかもしれません。


それこそ、一枚の布を隔てただけのような。


昨日書いた子どもたちとのシーツや毛布の布遊びみたいなもので。


あのシーツ越しにこちょこちょされるドキドキ感のような、、、


ガオーと毛布怪獣に食べられくるまれて、真っ暗の毛布でそわそわ何が起こるかジッと息をひそめている時のような、、、


布に隠れてはひょこっと顔を出して見つかって、またビックリして隠れてを繰り返すかくれんぼ遊びのような、、、


きっとあの世ってそんなものなのかも。


肉体という一枚の衣に閉じこもって、何時迄もかくれんぼしているのは、私たちこの世の人間の方なのかもしれません。


しかも、隠れてるつもりが、あの世の妖怪たちにはずーっと丸見えなんですけどね!(^ ^)


死ぬまで終わらない逆鬼ごっこ。


この世の人間の方が実は、鬼だったなんて顛末で。


そうですよね。生きてる人間の方が妖怪なんかよりよっぽど怖いですものね!


何にでもなれる一枚の布のように、自由自在で七変化する妖怪の世界の方が、ずっと愉快なのかもしれないなぁ~(笑)


とりあえずは、
この世で肉体という衣を纏っているうちから、愉快な妖怪になるべく精進したいと思いました~。


そうそう、水木しげる先生みたいなね!


早速、来年の目標ができました!
水木しげる先生ありがとうございます!


( ´ ▽ ` )


ちなみに私は、めだまのオヤジと一旦木綿が好きです。


(≧∇≦)

 


妖怪的な世界観が粋でカッコよい、椎名林檎さんの「神様仏様」のMVが今日書いた内容となんとなく世界観がリンクするなぁ。大好きなMVです。



 

織り込むように描きたい①

(*2015年12月に書いた文章です)

 

だんだんと冬らしくなってきましたね。

 

年末になると世間様の時間の流れが突如早くなるので、
そんなペースに流されず、自分のペースでいつも通りにじっくり作品作りしながらすごしたいなぁとなんとな~く思っておりますが。。


さて、私は絵を描く人間なので、かれこれ長いこと絵を描いてきたわけなんですが、同時に自分の描く絵の変化も、長いこと自ら観察もしてきているわけでして。


(そっか、メタ認知的な作業をしてきてたんだ。。)


描く本質みたいなものはきっと変わってないんだろな~と思いつつ、表現の仕方は年月と共にやはり試行錯誤変化しているもの。


それで、最近ふと、なんとなく自分の絵を見ていて急に思ったんです。


∑(゚Д゚)!


「私、もしかして”描く”というよりも”織っている”のかも!」


と。


…意味わかっていただけますか?


(^_^;)


なんだか自分的にはとってもフィットする感覚に辿り着いたと申しますか。


今の自分の作風は繰り返す模様のような絵なので、まさに機織りするみたいに絵を描いていますし。


そういえば私は、昔から布が好きでした。


ええ、眠るのが趣味ですから(笑)
もうずっと眠っていたいくらい(汗)
怠け者なんですよ(ーー;)


布にくるまれる心地よさ。
柔らかさ、あたたかさ。
安らぎ。


美しい色の、美しい柄の、気持ちの良い手触りの、一枚の布さえあれば、いくらでも遊ぶことができたっけ。


小さな頃は女の子らしく、一人でよくお人形遊びをしたものです。


綺麗な柄のハンカチだとか、ガーゼとか、いらない端切れとかを家中引っ張りだして、ドレスにしたりワンピースにしたり。


それから、甥っ子や姪っ子が今よりも小さかった頃、よく毛布やシーツで一緒に遊ぶのも好きだったな。


毛布を大きな怪物のようにして、子供たちをガバッとくるんで食べちゃったり、シーツの上からこちょこちょしたり(大ウケ!)、かくれんぼしたり。お家や飛行機にして一緒にくるまれて乗ったりすごしたり。


最後は海にして押入れからダイブして泳いだり!(羽布団、敷き布団)


形になってないただの布は、自分の好きなようになんにでもできるから、それが大好きだったんだよね。


布一枚さえあれば、もう充分だったのだよなぁ~。

 

だから、”布”的な感覚の表現物を作りたいっていうのがいつもどこかにあるのかもしれませんね。

 

細いペンや絵筆で線を描くとき、

一本の糸を紡ぐみたいにして、

何本もの色とりどりの糸を紡ぎながら、

同時に縦に横にと織り上げるように、

一織り一織り大切に、

こらからも布的な作品を
描いていきたいなぁと、

ほわんと、
幸せな子ども時代の原風景に立ち帰りながら思ったのでありました~。