「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

”死への抵抗”から”死の受容”へ、そして”今を生きる” 私的ボルタンスキー考 その1

 (この文章は2016年10月28日に書いたものです。)

 

今年は、瀬戸内国際芸術祭の春季で、ボルタンスキー作品の「心臓音のアーカイブ」に出会って以来、秋分の日から始まった東京都庭園美術館での個展へも足を運ぶことになり、知らず知らずのうちに、何故か、ボルタンスキー作品に導かれてしまっている私ですが、いよいよもって2016年はまさに私にとって「ボルタンスキー・イヤー」と呼べるものになりつつあります。

 

と、いうのも、再度今秋、瀬戸芸夏季から発表された新作の「ささやきの森」へと訪れる予定だからです。

 

なので、先日の東京都庭園美術館での個展は、私にとって、春の”巡礼”から秋の”巡礼”への予告編となり、あらためて、私自身を再度、ボルタンスキー作品”巡礼”の旅へと導く面白い機会となったようです。

 

図らずも、春から始まってしまった、そんな私のボルタンスキー作品巡礼の旅は、一体全体、どこに向かってどう着地することやら、、、

 

せっかくなので、ボルタンスキー作品と共に変容していく自分自身の心境の記録を、ボルタンスキーにちなみ、「アーカイブ」として、書き綴っておこうと思います。

 

 

ボルタンスキーといえば、匿名の個人・集団の生と死、存在と消滅、そして記憶という一貫したテーマで作品を作り続けているフランス人アーティストですが、よくよく思い返してみれば、私が初めてボルタンスキーを知ったのは、今から約20年くらい前。渋谷ユーロスペースにて上映されていたアートドキュメンタリー映画祭にて「ボルタンスキーを探して」というドキュメンタリーフィルムを見たのがきっかけでした。

 

その当時、暇さえあれば映画ばかりみていた私は、渋谷ユーロスペースとかシネマライズ渋谷とか単館系のミニシアターが好きで、よく通っていたのですが、たまたま予告編で流れたアートドキュメンタリーというジャンルがとても面白く、さっそく興味津々に見に行ったのです。

 

その中でも、「死の気配」がただようボルタンスキーについてのドキュメンタリーは、大量に集められた写真や古着を用いた作品が、なんとも言い難い不気味さを放っていて、当時の私は得体の知れない怖さを作品に覚えたのですが、「アートとはこういう表現で問題提起ができるものなのだなぁ」と、興味がなかったインスタレーションに興味を持ちはじめたのもその時のボルタンスキーがきっかけだったように思います。

 

以来、ボルタンスキーは、いつの間にか私の心の中にこっそりと住み続け、そして2016年、突然、目を覚ますように、ひょっこりと再び、私の目の前に姿を現わしてくれたようです。

 

ちなみに、”脱け殻”のような大量の古着を集めたボルタンスキー作品をみると、同じ頃にたまたま見た、セルジュ・ゲーンズブールの「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」という映画を思い浮かべてしまうのだから、記憶の回路というのは不思議なものです。

 

この映画の中に、大量の古着の山の上で、ゲイのカップルが仲睦まじく会話しているシーンがあるのですが、ボルタンスキーの古着の作品とそのシーンが、何故か私の中で結びついてしまったようです。ちなみに、映画の中の古着の山は、まるで欲望を纏って着捨てた、行き場を失った肉の塊のように感じられました。

 

僧侶のような穏やかなただずまいで、祈りの場のような芸術作品を作るボルタンスキーと、欲望のまま、酒とタバコと女に溺れ、大衆作品を作った不良オヤジのゲーンズブールは、まるで正反対の存在のようですが、私の中では両者が「聖と俗」「死と生」の補完関係として、何故か融合してしまったのだから、人の記憶というのは面白いものです。

 

もし、両者に共通点を見いだすとしたら、2人ともユダヤ系フランス人であり、メタファーを用いた作品を通して、いつも全体主義的なものが押しつける正しさへの強い抵抗とか反骨精神みたいなものを表現しているところかもしれません。

 

一方は、過剰な死の表現のレクイエムとして、そして、一方は、過剰な生の表現のシャンソンとして。

 

そんなわけで、どうやら私にとってボルタンスキーの作品は「聖なるもの」と認識している記憶が元々あるようで、ボルタンスキー作品を体験することは、まさに”巡礼”という表現がしっくりくるようです。

 

たしかに、四国八十八ヶ所霊場のお遍路の地でもある香川県の、豊島まで、わざわざ作品を見るために訪れなければいけないこと自体が、まるで作品にたどり着くまでの道のりそのものがお遍路のようでもあります。

 

そして、深く「死」を見つめ、「生」を取り戻していく装置としての場というところもまた、よく似ているようにも思えます。

 

では、お遍路とボルタンスキー作品巡礼の違いは、宗教と芸術の違いはなんであるのでしょうか?

 

ボルタンスキー自身がインタビューで次のように語っています。

 

 「私の作る作品は、形としては宗教的な場所や儀式のコピーだが、美術作品はそもそも儀式的宗教的な形式なのではないか。芸術と宗教は大いに関係がある。美術館は今の時代の新しい教会だ。でも、宗教との違いは”答えを求めない”ということで、それが重要なのだ」

 

「自分は”答えのない”問いを投げかけ続けることによって作品を作っているけれど、宗教はそこに常に答えを用意している。」

 

そして、「心臓音のアーカイブ」と「ささやきの森」は「神とつながるのではなく人とつながるための作品」だそうです。

 

芸術作品の問いかけの答えは、鑑賞する人、一人一人違うものであり、その問いをどう捉え、感じ、一人一人がその答えを見つけ出すことにこそ、意味があるということなのですね。作品とは受け取る鑑賞者がいてこそ真実完成するもの。

 

ボルタンスキーが全体主義的なものを拒否し、一人一人の存在を大切にするように。

 

余談ですが、「美術館は新しい教会である」というボルタンスキーの言葉で、以前、参加したWSでの「美術館は墓場か?テーマパークか?」という問いかけを思い出しました。

 

もしかしたら、美術館とは「墓場」「教会」「テーマパーク」が三位一体となった場所のようなもの?そう考えるとなんとなくしっくりくるのは、私だけでしょうか…

 

そして、芸術祭とは「祭り」と書くように、「マツリゴト」でもあり、ある種、「変容のためのセレモニーが執り行われる場、空間、もしくは、装置」ともいえるのかもしれません。

 

それは、ある一定期間のみ夢のように立ち現れて、祭が終わると共に跡形もなく消えて無くなる、ケガレをミソグ、ハレのセレモニー。

 

そして私たちはケの世界に再び戻っていくのでしょう。

 

 

 

 

続きを後日その2に書きたいと思います。

 

 

 

 

(その2に、つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あきちゃった天使

(以前作ったショートショートです)

 

 

なんかさぁー、


あきちゃったんだよね、天使。


まず、羽。


飛ぶのがさ、けっこう重いわけよ。


飛んでばかりいるせいか、


足が退化しちゃってねぇ。


足腰きたえないと


寝たきりになっちゃう。


まぁ、なかなか年もとらないから


介護される日も何万年も先だから


悩むこともないんだけど。


羽、肩凝るのよ!


次はファッションね。


いつもスケスケの白い布とか


葉っぱ一枚だったり


ヘタすりゃ素っ裸でしょ?


たまにはオシャレしたいわけよ。


あ、でも近頃の映画でみる仲間は


スーツ姿だったり


割りとフォーマルスタイルよね。


でも白か黒ばかりでしょ。


真っ赤な着物の天使がいたって


いいわよね!


ところで天使って、寿命長いし


なかなかやめられないでしょ?


だから、仕方ないから代わりに


人間にイタズラすることにしたの。


やめたいことがあるのに


やめられないって人を見つけては、


耳元にこう囁くの。


「やめちゃえ~やめちゃえ~」って。


ただそれだけなんだけど。


そうやって、いつも


暇つぶししてるんだよ。


で、そうこうしてたら、


気づいた時にはこう呼ばれてたの。


「悪魔」ってね!

 

 

 

おしまい

自立

ダブルバインドの連鎖

ピラミッド型社会

力の奪い合い

不信感と不安感

そういうのなんかしんどいね。


正義感からの怒りのエネルギーは

パワーは強いけど

最後には

自分にも毒がまわって、

自分も焼き尽くしてしまうね。

もう

そういう原動力は

卒業したいな。


だからって、愛が強すぎるのも

自立しようとする子供の手足を削いで

芽を摘み、溺れさせ

子宮にもどしてしまうくらい毒がある。

「呑み込む太母」にもなりたくない。

 

自立する

通過儀礼の痛みは

回避せず

味わう

それが

自然。


自然は

かんたんに

思い通りになんて

なかなかならない。

だからこそ

面白い。

 

結局、自他を信じる

それしかないのかな。

一番身近な自然

(*2016年2月に書いた文章です)

自然と向き合う。
自然のなかで暮らす。

そう問われた時、大抵は、木とか森とか山とか川とか海とか、そこに暮らす野生動物とか自然環境保護だったり、都心での緑化とか家庭菜園、ナチュラルライフ的なことを思い浮かべることかと思う。

自然の中に身をおくことは気持ち良いものだけれど、都心近くに暮らしていると、よっぽど意識しなければ、そういう環境に日常的に身をおくことはなかなか難しい。

それに、”本当の自然”のなかで暮らすことは、案外そんなに容易いことではなかったりする。
思うようにいかない不便で不自由なこと、手間がかかることもきっと圧倒的に多いだろう。。
自然ってお手軽ではないのだ。

でも、よくよく考えると、実はそういう環境にわざわざ身をおかずとも、自分はすでに自然の中で自然に向き合って暮らしているよなと思うことがある。

例えば『老い』。

共に暮らす母親に日々接していると、当たり前だけれど『人間は老いるものでそれが自然なんだ』と否が応でも実感する。

だんだん耳が遠くなり、だんだん目が見えづらくなり、だんだん忘れっぽくなり、だんだん歩く足取りがおぼつかなくなり、だんだん体力が落ち、だんだん身体がちいさくなり、だんだん髪の毛が白くなり、だんだん行動範囲が狭まる。

去年は一緒に行けた旅行先が、今年も行けるとは限らない。
ほんのちょっとしたことで衰えが早まる事もあって、もう体力的に無理かもなと、だんだん”できなくなる”ことが目に見えて増えてくる。

もとに戻るとか、良くなることはないので、こちらが受け入れてあわせる意外ないのだ。

確かにその都度、状態にあわせてこまめに生活を見直さないといけないので、面倒だったり不自由に感じることもあるけれど、「まあ〜そんなものだ」といい感じに諦めてしまえば案外喜楽なものだ。

いつもつっこみどころ満載なので、母との日々の暮らしはコントしているようにすら感じる。

案外、年をとるのも悪くないのかもしれない。
それは最も自然なことだから。

私の太陽

(*2015年7月に書いた文章です)

 

昨日は土用の丑の日でした。


確か、暑気払いとして、うなぎを食べるということだったか。


いよいよ夏本番の暑さになってきた。


白昼、ジリジリと照りつける陽射しが肌を焼き、汗がじわりと吹き出し滴り落ちる。


緑は青々と繁り、生き物の熱量が絶頂に達する真夏は、同時に死者の季節でもある。


夏はお祭りが多い。


腹に響く太鼓のリズムに合わせ、蒸し暑い闇夜に明かりを灯し、ご先祖さまたちとぐるぐると輪になって、歌いながらゆったりと踊る盆踊り。


メメントモリ

死を想え

という言葉があるが。

 

真夏は太陽の恵みを目一杯受け、生命力をみなぎらせるからこそ、その源である、死者に、先祖に、そして故郷という自分のルーツに思いを馳せてしまうものなのかもしれない。

 

私は長らく、故郷コンプレックスをもっていたように思う。


幼い頃から引っ越しが多く、住む場所を転々としてきたためだろう。


それ故か、理想の故郷に憧れ、家族の絆に拘り、人一倍それらに執着してきたようにおもう。


何処にいても、誰といても、いつも根無し草で、アウェイ感を拭えずにいたが、ここのところ、ちょっと心境が変化しつつあることにやっと気づいた。

 

「あぁ、そうか、自分がいる場所が常に故郷でそこで出会う人がみんな家族みたいなものなんだよなぁ。。」と。

 

そう気づいた時に、今まで暮らしてきた、通り過ぎた、色んな土地のすべてが故郷で、そこで出会ってきた人たちみんなが家族だったんだよなぁと、


これから行くかもしれないであろう色んな土地と出会う人たちのすべてが既に故郷で家族なんだよなと、ごく自然に思えたのだ。


きっと今までだったら、理想の故郷を求めて、いつまでも世界の最果てまで探し歩き続けていたかもしれない。そして、手に入れた故郷を手放すまいとしがみついたかもしれないし、離れた人たちとの別れをずっと悲しみ続けていたかもしれない。


でも、もうそんなことはしなくてよいのかもしれない。


以前、けだるい逆回転という記事で、「太陽が東から昇って西に沈むのではなく、地球が西から東へ左回転しているのだ」と書いた。


太陽は動いていないのだ。


太陽は微動だにせずにただそこにいて燃え続けている。地球や水星や金星や火星たちが周りをくるくる回っているだけなのだ。


それらに例えるなら、自分が太陽で、故郷が太陽の周りをくるくると左回転する地球や水星や金星や火星たちなのだ。


風景は動きつづける。
だから場所としての故郷はいつも変わり続ける。

けれど、自分自身はいつも「ここ」にいて脈打ち続ける。変わらない。


自分自身が不変のマイホーム。


そんな風に気づいたら、もう何処にいったって堂々と、我が故郷顔して、馴染んで楽しんでしまえばよいと。


そして、いつも新しい土地に行くたびに、出会うであろう人たちが、きっとやっと会える新しい家族なのだと。


故郷と家族とつながる合言葉は、やっぱり
「ありがとう」と「こんにちは」だろね。


そう思えたら、目に見えない鳥籠みたいなものからやっと解放されたように思えて、ようやく地に足がちゃんと着いたように感じた。


家族と故郷。


他人同士が作っては解体し、作っては解体していく一瞬のあったかい夢のようなもの。


当たり前のようだけど、奇蹟みたいなもの。

あらためて、ご先祖さまに感謝したくなった。


しみじみ。

善玉菌と悪玉菌

ドス黒さを

ちゃんと飲み込んだ

 

ドス黒さの

そのドス黒さを

あぁ、ものすごいドス黒ーいと

認めちゃったら

なんだか少し

スッキリした

 

あるものを

ないものになんて

できないし

 

黒いものを

無理矢理

白いものに

する必要なんて

ないんだ

 

 

善玉菌と

悪玉菌

両方とも

なきゃ困るし

共生してる

お腹の中で

 

ドス黒さを

飲み込めたなら

善玉菌を増やさなきゃとか

悪玉菌を減らさなきゃとか

そういうの

だんだん

どうでもよくなってきた

 

悪玉菌は本当に悪いのかな?

善玉菌は本当に良いのかな?

 

それさえも、なにか違う気がする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玉虫色

心、

体、

感情、

状況、

日常、

時間、

空間、

夢、

私を構成する

色んなものの

砂つぶが

水の中を

断層のように

虹色に重なりあって

入っている

私という小さな器

 

大きくてするどい匙が

断層を突き崩すように

底辺から

かき混ぜて

虹色の層は崩れて

色とりどりの砂つぶは

バラバラに

水の中

ふうわりと

舞い上がり

水の中

漂って

玉虫色に

混じり合って

浮遊しながら

段々と

再び

底辺に

玉虫色の砂つぶが

ゆっくりと

沈殿していく様を

ただ

見つめている

 

私という

小さな器の中の

水の

一番上澄みが

無色透明になるまで