「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

あたしの平成最後から二番目の誕生日

「お母さんがわたしを産んだから今日は美味しいものを一緒に食べられるんだね〜」

 

「わたしが生まれたから今日は美味しいものを一緒に食べられるんだね〜」

 

 

と、

のほほんと言いながら、今晩は親子水入らずでちょっと上等なお寿司を食べた。

 

そうだよね。

産んでくれる存在がなかったら

生まれることもないし、

生まれる存在がなかったら

産むこともできない。

 

その前に、

お父さんとお母さんが一緒にならなかったら私がお母さんのお腹に宿ることもないし、

そもそもお父さんとお母さんが出会わなければ一緒になることもない。

そして、お父さんとお母さんが生まれなければ出会うこともない。

 

だから、お誕生日はみんなとわたしにありがとうの日なのだな。

 

気づいたら、

誰かにしあわせにしてもらおうと思わなくても、いつも必ず誰かや何かが勝手にわたしをしあわせにしてくれていて、誰かをしあわせにしようと頑張らなくても、誰かや何かが勝手にいつもわたしからしあわせを感じてくれている。

 

知らぬ間にみんなでしあわせを分かち合ってる。

 

しあわせになろうと思わなくても

すでにしあわせがそこら中に溢れてる。

 

だから、わたしはただ自分らしく安心して存在していればよいのだ。世界にぽふっと飛び込めばそれだけでいいのだ。世界はおもっているよりも、圧倒的に優しいのだ。

 

私の思うしあわせは喜怒哀楽全部を豊かに感じられること。

 

嬉しい楽しいだけじゃなく、悲しい寂しいって感じられることさえしあわせの形の一つ。

 

だから、しあわせってものすごく

豊かで広くってごく当たり前のことだったりするから、ぼーとしてるとうっかりわすれちゃう。そしてそれはいつも何一つ同じ形などない。そう思うと、わたしの感じてる毎瞬は偶然だらけの奇跡のパラパラマンガなのかもと、ふとそんなことを思った誕生日。

 

父があの世にさっさと逝っちゃってから約4年。

運動会の障害物競争みたいにめくるめくだった約4年。

そんな中、父だけじゃなく平成までもがお先に失礼と言ってきた!

奇遇にも、来年平成が終わるのとほぼ同じくして実家仕舞いを完了することを決めている。なので、今年は今までの家族としての形の解体と再構築への仕上げの年となる。

あと一年で平成と実家に幕!

 

♪こんな〜時代も〜あぁ〜ったねとぉ〜、

いつか〜笑える日がぁ〜くるわぁ〜

 

♪まぁ〜わる〜ま〜わる〜、時代はまわる〜、よろぉ〜こび〜、かなしみくりかえぇ〜ええし〜

 

もうすでにこの曲が頭の中をぐるぐる回っている。。

そして、年末には蛍の光がぐるぐるまわるのだろうよ。。

 

愛着のある場所を手放すのはきっと寂しいだろなぁ〜。

 

でも、まだ知らぬ新しい場所に行くこともワクワク(まだどこに行くかも決めてないけど!)

 

平成の次が何になるのかくらい、未知!

 

やっぱり、人は冒険したくなる生き物!

 

喪失と孤独のトンネルを抜けた先には進むべき光があるさ〜!笑

 

その先になにが待ってるのかはまだよくわかんないけど、まぁわかっちゃったらつまらないからそれもよし。

 

とりあえず、荷物は少なめに軽めにしといた方がいい。ブツブツ。。

そして準備は怠らず。ブツブツ。。

 

来年の今頃、わたしが何処でなにをしていたとしても、自分がマイホームなのだから大丈夫!と胸を張って堂々と言える自分になっていたいから、やり残しのないよう悔いなく今日も感謝してコツコツ励もうと思った、平成最後から二番目のお誕生日であった。

 

 

(怠け者の上に忘れっぽいので、お誓いを書いとくこととした誕生日)