「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

届かなかった手紙のその後

(この文章は2015年に書いたものです)

昨日は嬉しいハプニングがありました!


今から約10年前に、地元で絵画教室を主宰していた時の教え子からフイの連絡があったのです!!


当時、小学生だった教え子がインターネットを通じて私を発見してくれたみたいでして!(笑)


いやぁ~、ビックリしましたぁ~!


ついに見つけられちゃったかぁ~!


そして、涙が出るくらい嬉しかったです!


当時の教室主宰の際に、みんなとコミュニケーションを深めたいと、生徒さんと親御さんと私の3人で各ご家庭毎に、コミュニケーションノートという交換絵日記をしていたのですが、


その時のコミュニケーションノートの画像と、今、彼が描いている作品も添付してメッセージを送ってきてくれたのです!


ずっと絵を描いていて、絵の道に進むそうです。自分なりのはっきりとしたビジョン、夢と目標を持ちながら、自分の意思でしっかりと、とびきりかっこいい進路を決めて歩んでる姿が伝わってきて、なんといいますか、なんとも言えない気持ちが込み上げてきまして。。


感無量と申しますか、、、


ホント、小鳥が巣立ってまた数年後、島に若鳥として悠々とした姿で帰ってきたのを見る親鳥のような心境と申しますか(笑)


まさかの未婚の私の親心!(爆)


当時の私は(今でもですが)ホントに未熟者で、先生らしからぬ頼りなさで、子どもたちに教えるどころか毎回教わるばかりで、子どもと遊んでもらってたような状態だったので…(汗)


当時、理想に燃えて教室を始めたものの、理想と現実の折り合いがつけられず、情けないことに、たった一年間で教室を辞めざるをえず、色々とみなさんに迷惑をかけてしまったしねぇ…


その後、心身を崩していた時期もあって、すっかり音信不通になってましたし。。


だから、先生らしいことはたいしてできなかったように思うのですが、あれから約10年の時を経て、教え子から当時の教室が楽しかったと今でも絵が好きなんだと、ありがとうと伝えてもらえて、なんといいますか、、


あぁ、これでよかったんだなぁと、


ホントに心が洗われたのでした~~

 

 

いやはや、人生というものは、、、


これだから、


おもしろいですね。


忘れた頃に、こんな風にまさかのサプライズが舞い込んでくるんですから


しかもとびきりステキな!


あらためて、教え子&当時の自分に
ありがとうと言いたいですよ~。


いやはや、わたしも頑張らないと!

 

 

ところで、この教え子と約10年ぶりに電波を通じて再会を果たした喜びのこの話には更に続きがありまして。

 


というか、本題はここだったんだなぁ~とその後深く理解する不思議なシンクロに気づきました。


長くなりますが、その話をここからは綴ります。

 


実は私にも、教え子のようにお礼を伝えたかったアートスクール時代の恩師がおりました。


その人は、高校生の時に通っていたアートスクールの教頭のK先生。


先生はデザイン科で小学生のクラスを中心に担当されていたので、受験科で油画専攻の自分は先生から絵の指導を受けることは数えるほどでほとんどなかったのですが、


にもかかわらず、私は先生から多大な影響を受けました。学校の面接の時に一番最初に話をしたのが先生で、それ以来、私は心を開いて先生に懐いて、深い信頼を寄せていました。


先生もよく気にかけてくださって折をみては、巻貝の形の不思議やら、向日葵の種の渦巻きの形の不思議やら、夕暮れの空の色の美しさやら、桜前線と共に北上しながら旅する親子やら、、色んな話をきかせてくださいました。


ホントに先生のお話を聴くのが大好きで。


そして、その頃進路のことや家のことやらで、悩んでいた私の相談にもよく親身に載っていただきました。


明るくて優しい先生でした。


アートスクールを卒業して働くようになってからもちょくちょく顔を出していましたが、働きながらも絵を描き続けていく道を模索しながらの日々を自分なりに送るようになってからは、段々と先生とも疎遠になり、月日が流れました。


私は10年前に初めて本を出版し、ちょうど教え子と同じように、すでにアートスクールをお辞めになっていた先生にどうしてもそのことを知らせたくて、お礼を伝えたくて、私は本と一緒に手紙を書いて送ったのでした。


けれど、手紙は届かずに戻ってきてしまいまして。


なんだか気になってその後、アートスクールに行き先生のことを伺うと、辞められた後、亡くなられたと。


目の前が真っ暗になりました。


途方もない絶望感。

 

なんでもっと、早く逢いにいかなかったのか、、


自分にもできることがなにかあったんじゃないだろうか、、


後悔するばかりでした。


もうお逢いして活躍を伝えることができない哀しみと同時に、置いてけぼりにされたような、裏切られたような気持ちにもなりました。


それからというもの、ずっと、先生の死について割り切れない想いを、いつもどこかで抱え続けながらも、あいも変わらずにただただ絵を描き続けてきました。


考え続けても、過去には戻れないし、自分は描き続けることしかできないので。


そんな風に月日を過ごして先生の死を知ってから10年の年月がたち、つい先日の不意の教え子から電波での再会。


しみじみ喜びを感じながら感慨に耽っていた時に「あ!」っと気づいたのです。


届かなかった手紙と私の本。


知ることができなかった先生の気持ち。

 

あれから10年後、不思議なシンクロで、私はあの時と同じようなシチュエーションで、同じような心の交流を果たしているではないかと。


今度は立場を逆転して。


教え子があの時の私と同じ立場で、そして、私が先生と同じ立場で。


そして、10年越しに「やっと果たせたんだなぁ。」と思いました。


私、先生に再会できたんだなぁ、、、


あぁ、やっと私と先生、あの時をやり直せたんだなぁと思いました。


私が教え子の近況を聞いて嬉しかったように、きっと先生も同じように私のことを喜んでくれたんだろなぁ。あの時の私の絶望を、教え子が喜びに変えてくれたんだなぁと。


そして、本当の事はわからないけれど、先生が抱えていた1人の人間としての心の闇や葛藤や弱さを、理想に燃えて始めた教室をやりきれずに子供達を哀しませてしまったあの頃の自分の心の弱さと情けなさを、そのまま受け入れることがやっとできたのかなぁとも思いました。

 

 

そしてそのことですごく救われたように思います。


フワッと「とける」時がくるんですね。。


あぁ、やっと終わらせることができましたね、先生~。

 

いやはや、時が経ってこんな形でこんな解決がやってくるなんて思ってもみませんでした。。どこになにが繋がっているのかわからないけど、今回の出来事は、実に鮮やかでお見事でした!


この絶妙なシナリオは一体、誰が書いてるのだろう(笑)


ホント人生はおもしろいですね。


起きることはみんな意味があって、無駄じゃないんだな~って、しみじみと思った秋でした。

 

そして、これから教え子とまた新たな関係を作っていける再チャレンジの素晴らしいプレゼントをもらえたことにしみじみ感謝。