三角型というのは不思議な形である。
力学的に絶妙なバランスを保つ。
人間関係の中にも三角型はよくみられる。初めは一対一の関係から出発し、いつのまにやら三角型に発展するのがほとんどだ。
一対一という二極の軸は力学が崩れると逃げ場がない。
真向かいだから、互いへの力がダイレクトすぎるのである。仮にその二極をAとBとする。Aの力が80で、Bの力が20だとしたら、そのうちBが潰れてしまうわけだ。
互いへの力の受け渡しがうまくいかないと(大抵は信頼関係が崩れることでうまくいかない)たちまち力はエネルギー漏れをし循環しなくなり、それどころか怪我のリスクまで高まってしまう。
そこで、そうならないために、第三軸が必要となる。まっすぐ一方向にだけ向かっていた過剰な力を二方向に分散、もしくは2つの力を第三軸に集中して流すのである。
そうすることで怪我を防ぐわけである。
わかりやすいのが家族。
男と女の一対一の関係から始まり、
やがて2人が夫婦となって子を成す。子が生まれることにより夫婦が益々円満になることを、子は鎹なんて言ったりする。新たに生まれた子という第三軸に2人の力が一致団結し向かうわけだ。
これはわかりやすい良い形で三角関係が機能した場合。
一方で、良いとは言い難い三角関係もある。男女の三角関係なんかはその例である。一時、その関係は奇妙なバランスを保ちながら調和しているようにみえるが、内実アンバランスな力関係で成り立っているため段々と形が変形し最終的には必ず破綻する。なぜなら、一点にだけ力が集中するヒエラルキー構造になっているからだ。
三角関係の力学はなにも男女間だけではない。職場でも友人でももちろんおきうる。
職場でよく聞くパターンのひとつ。仲が悪かった従業員2人が、新人の従業員が新たに1人加わったことで、手のひらを返したようにタッグを組み、新人をネチネチやりはじめるなんてことも。不仲だった初めの二極が新たに登場した第三極に対して一気に負の感情を昇華することで2人の間の問題が一時的にそらされて不仲を忘れて仲良くなるなんていう奇妙な錬金術生まれる。負の感情を一気に請け負わされる第三極の立場はまるで竹炭か雑巾である。たまったもんではないだろうに。やれやれ。。
問題の焦点をそらすために新たな別の問題に意識をそらせるような手法を国家が国民に対してすることもこの構図とそっくりである。浮気された女性の怒りが浮気をした男性に向かうより浮気相手の女性に向かうなんていうのも典型的な焦点のズレである。
ちなみに余談。昔カルテットという名前のドラマがあったが、ふたつの三角関係の一片だけを背中合わせにして合体すると四角関係となる。そうすると四角なだけに死角ができる。この死角同士が見えてしまったらこのバランスは一体どうなってしまうのだろうと。。現実にそんなことがそうそうあるかはよくわからないが。
なるべくならば、ハズレくじの第三極にはなりたくないものだ。もし仮に、対立をしていた初めの二極が第三極の出現により仲直りをしたとしたならば、結果的に仲を取り持つ役割を果たした第三極には感謝をしたほうがいいだろう。しかしながら、人は都合良く忘れてしまうものである。
子を鎹として良い関係を築いていた夫婦も、いづれは子が成長し自立をすることを忘れてはいけない。いつまでも夫婦仲の接着剤として子を三角型にい続けさせてはいけないのである。なぜなら、人間関係の基本は一対一がすべてだからだ。
なので、いつでも第三極を必要としない一対一の信頼関係を築くことが大切である。
二極のみの視野狭窄に陥らずに互いを信頼し合い、あまりにも深くて大きな互いへの愛情を、破壊するためにではなく何かを創造するために調和させて、共同創造の力に変えて、2人で作り上げたい世界という第三軸に向かわせることで美しく昇華し循環させてほしいと願うばかりである。
二極が引き合う本来の力は愛と信頼なのだから。