「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

春支度とハレとケ②

*2015年3月に書いた文章です。

 

 

「ハレとケ」といったらセットのように「ケガレ」という言葉が登場します。


文字通り「ケ(=日常)ガレ(=枯れ)」
=穢れ=汚れという意味のことです。


「ハレ(=非日常)」とも違う、日常が枯れてしまうっていうのは一体どんな状況でしょうかね。


きっと、心身の病気や怪我、生活の困窮、身内や知人との離別、突然の災害、失業・失恋・挫折、その他諸々の思いがけないネガティヴな出来事が「ケガレ」にあたるものなのかなと思います。


そして、「ケガレ」たら、「ミソギ・ハライ」または「コモリ」をするわけです。


では「ミソギ・ハライ」「コモリ」とはどんなことでしょうかね?


例えば、不祥事を起こした不良学生が、その程度に応じて受ける処分として退学(ミソギ・ハライ)だったり、停学(コモリ)なんかを受けて、しばし謹慎・反省するってなかんじでしょうか。


そしてミソギ・ハライ・コモリの何れかを経て、再び「ハレの日」を迎えます。


不良学生の例えでいえば、ミソギコモリとして身を切るような処分の反省内省期間後に、再び新しい学校に入学し直したり、就職の道を選んだり、復学したりする日を新たに迎えるという感じです。


病気の人を例にしてもわかりやすいですね。


社会生活(ケ)→病気(ケガレ)→休職・入院・手術(ミソギ)→退院療養・リハビリ(コモリ)→復職の日(ハレ)→社会生活(ケ)


と、こんなかんじでしょうか。


そんなわけで、


ハレ(非日常の特別な日)→ケ(日常)→ケガレ(日常が変わるようなネガティヴな出来事)→ミソギ・コモリ(反省や静養・休養・勉強期間)→ハレ(非日常の特別な日)→ケ(日常)

という一連の流れで、一つのサイクルとして完結します。


この流れは日本の一年間の四季のサイクルによく似てますよね。


春に芽吹き、夏には繁り、秋には実り、豊かな収穫を迎え、そして立ち枯れた冬は、ただひたすらに地中にて春の訪れを静かに待つ。そして時はめぐり再び春がやってくるといったように。


ハレ→ケ→ケガレ→ミソギ・コモリ→ハレ→ケ→ケガレ→ミソギ・コモリ→ハレ→ケ………


と、「ハレ、ケ、ケガレ、ミソギ・コモリ」の4つの言葉の一サイクルを春夏秋冬になぞらえて、輪のようにぐるぐると延々と繰り返し循環させていこうとする人生観・死生観を、DNAレベルで無意識のうちに私たち日本人の誰しもが持っているのではないかなぁと思います。


季節は誰にでもかならず同じようにめぐってきます。例外はありません。


春になればかならず桜は咲きます。
秋になれば葉は紅葉します。


終わらない冬などなければ、永遠の夏などもないのですね。。


日本の四季ってホントに素敵。


なんだか人生の「失敗→反省&勉強→再挑戦」というサイクルにもよく似てますよね~。


しみじみ。。( ´ ー ` )


年度替わりの春はプチリニューアルにももってこいかもしれませんね。


特にこれといった生活の変化や大きな節目がないならば、あえて季節の変わり目を利用して、意図的に自分で節目的なことを設定してみるのも心機一転で楽しいかもしれませんね。


髪型をちょっと変えてみたり、カバンや靴を新調してみたり、お部屋の模様替えをしてみたり。。新しく何かを始めてみたり。


生まれ変わるには「ミソギ=身削ぎ」ありきですからね。始める前に、春支度として、少しプチ整理整頓、大掃除を今週はしようかな~となんとなく思う、春分前のそんな週末です。