「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

青い芝生

(*2016年3月に書いた文章です)

人は皆、自分のことは案外、一番自分がよくわかっていないものなのかもしれない。。

そして、不意打ちのように、自分の一番かけがえのないものを、さりげなく見つけ教えてくれるのは、いつも自分じゃない誰かだったりする。

そんな目から鱗な出来事を今日感じることがあって、今までの気分はなんだったのかと驚くほど力がぬけた。

そして思った。

「今までも、そしてこれからも、自分もみんなもこれでよい」のだと。

そのあと、Mr.Childrenの『名もなき詩』の歌詞をふと思いだした。
大好きな歌なのだ。

歌詞のフレーズで表現するなら、、、『自分の真実を握りしめている』のは案外、自分以外の誰かだったり、誰しもが『自分らしさの檻の中でもがき』ながら『あるがままに生きよう』と不器用にそれぞれが生きているのものなのだ。


自分が、素直に、あるがままに、ただ自分のままに生きていることで、知らぬ間に意図せずに、時に誰かを傷つけてしまったり、

逆に、誰かが、素直に、あるがままに、ただその人のままに生きていることで、思いがけずに勝手に、時に自分が傷ついたり。

それは時に、お互いの姿のなかに「自分に無くて、誰かに有るもの」を拡大レンズでみてしまうからなのかもしれない。そして、羨んだり、寂しくなったり、悲しくなったり、怒りが湧いたり、虚しくなったり。

人は誰だって「隣の芝生は青く見える」もので。

自分の”ささくれ”をそのまま直視し認め、感じきることはちょっと苦しい作業。

そういう感情や姿を誰かに見せるのも格好悪いし、見せて誰かを不快にさせたり心配かけたり迷惑もかけたくないからと、自分の中だけで解決しようとして、”自分らしさ”に増々閉じこもったり、”自分らしさ”を疑ってしまったりもする。

でも時に、自分だけでは抱えきれないほどの”ささくれ”を、素直に、あるがままに、そのまま誰かにぽろっと見せてしまった時に、お互いの姿を写す拡大レンズがくるっと反転する魔法にかかることがある。

「自分に無くて、誰かにあるもの」から「自分に有るもの」を見せてくれる拡大レンズに一瞬でかわるのだ。

「隣の芝生は青いけれど、実は自分の芝生は自分で思っているよりも案外、隣の芝生と同じく青かったんだ。。」と、誰かがさりげなく気づかせてくれたりするのだ。

そして、お互いの”有るもの=青い芝生”のかけがえの無さに気づく。
「自分も捨てたもんじゃない。せっかくだから存分に生かさないともったいない」と心からありがたいと大切に思えてくる。

それぞれが持っている自分だけの”青い芝生”をその人らしさというのかもしれない。そして、人が誰かに渡せるのはその人らしさだけで。きっと、唯一その人らしさだけが、どんなに分けても刈り取っても決して無くならないものなのだと思う。だから、安心してどんどん渡せば良い。唯一、無理せずに、誰かに分けられるものだから。

傷つくのを恐れず、自分の素直な表現を閉じずに開いていく時に、自分一人では決して気づけない、かげがえのない真実を、意外なほどサラッと、誰かが教えてくれるようだ。そして、力が抜けた最後の最後にほわっと気づく。みんな本当は誰だって、初めから損なわれてなどないし、そのまんまで十分すてきなのだと。

やはり、人は一人では生きていけないということなのだなあ。。

誰かと分け合いながら生きるから「人の間」って書いて人間っていうのか。

やっぱり 「人間」って面白いな〜。
ナンダカンダ言ってやっぱり私は「人間」が好きらしい。。
(宇宙人的つぶやき・・笑)



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