「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

信じぬく力

(この文章は2018年1月に書いたものです)

遅ればせながら、年始に映画「君の名は」のテレビ放映を見た。社会現象にもなるほどの世界的な大ヒットアニメなだけにずっと気にはなっていたものの、なかなか映画を見ずに今日まで至っていた。放送直前にたまたまツイッターのタイムラインに流れてきたツイートで放映を知り、頭五分くらい欠けたものの、やっと見ることができた。

作品と縁があるタイミングってそんなものである。

 

見た感想。

個人的に響くこと感じること思うことは多々あった。とりあえず、月並みな感想として絵がとても美しくRADWIMPSの音楽がかなり印象的で物語の構成もとても面白い作品だった。方々で物語自体の色んな分析や感想があるだろうから改めて詳しい内容について取り上げて書こうとは思わない。

 

ひとつだけ敢えて取り上げたい私が一番印象に残ったシーンは、彗星落下直前に瀧から三葉に組紐を返すシーン。

 

三葉の身に起こる未来を知っている瀧は、三葉と町のみんなを救いたい一心で三葉の身体に入ってなんとか彗星落下から町を救おうと奔走するが、そのためのキーパーソンである父親を説得することだけは彼女自身じゃなければできないことを思い知る。

 

必死になって彼女を探し、やっと本物の三葉と入れ替わり再会を果たす。その時に瀧は三葉に以前受け取った組紐を返す。

 

そこから、目覚めた本物の三葉が町を救うために町長である父親を説得しに奔走して遂には町を救う。

 

そのくだりを見ていて感じたのは「真心」と「信じぬく力」。

 

三葉の命を救いたい一心であきらめずに行動した瀧。

けれど最後の最後は三葉自身じゃなければ解決できないし、自分が代わりに解決できないことを思い知り、彼女自身の未来の選択を彼女の手に委ねることにする。そして三葉は瀧の想いを受け取り、自分自身で未来を変えるために行動していく。

 

それは、相手を信じ自分を信じぬくということだ。

 

組紐を返す事がそれを象徴している。

相手を信じているからこそ本人に返すのだ。

 

瀧は三葉の"一つの未来"を知っているけれど、実際に未来を選び変えることは三葉本人でなくてはできないし瀧がその先介入することはできないのである。そして、三葉は瀧が託した想いを信じて受け取って、自分の手で未来を選び解決していかなくてはいけない。

 

自分にとってかけがえのない

とても大切な人。

ただ相手に生きていてほしい。

幸せであってほしい。

 

そんな真心と純粋な動機だけで一心に行動する2人の「相手と自分自身を信じ抜く力」そして「選び行動していく意思」がとても胸に響くものがあった。

 

2018年。

 

「どんな風に生きたいですか?

自分の信念はなんですか?」

 

と思春期の2人の男女の主人公が命懸けで純粋に私たちに問いかけた年始の夜。

 

一年の計は元旦にありとはいうが、

そんなことに想いを馳せる、年始に相応しいステキな作品だったなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胸を貸したり借りたり

(この文章は2016年1月に書いたものです。)

 

今日は成人の日ですね~。


成人式を迎えられる20歳のみなさん、御目出度うございます!


そんなわけで自分の成人の日を思い出しながら、成人って何だろうと想いを馳せてみよう。


そうそう、自分の成人式は関東地方に稀に見る大雪が降った年でした!なので、成人式には参加せず、一日中雪掻きしてましたね…(ーー;)


お着物汚しちゃうし。って、実のところはその着物さえ買っても借りてもいなかったんですけど(笑)


雪が降っても降らなくても、私は最初から式に参加する気がなかったんです。


…ナゼかというと、、、


その頃の私は、学生でも正社員でもなく世間でフリーターと呼ばれる立場に身をおきながら絵を描いていて、まだ何者にもなれていない自分に言い様のないコンプレックスだらけで、学生生活を謳歌しているであろう同窓生たちの中に混じって、

「今どうしてるの~?元気だった~?着物かわいい~!」

などと無邪気に進捗状況を語り合う気になど全然なれなかった(汗)


それに、あの頃の私には、何をもって成人なのか、年齢だけで形だけの成人式に参加する意義や意味が単純に全然わからなかったのでした。。


目の前の生活を滞りなく営むため、雪掻きをすることの方がずっと重要で…
(ーー;)


そして現実は、職場で10も20も30も親程に歳の離れた「成人の大先輩達」に囲まれ働く日々の中、いつも「成人の先輩」達がつきつけてくる理不尽さに怒りばかりを感じながら、ひたすら悶々としていたのでした(笑)


そう、大人にもなりきれず子供にももどれない、何者にもなりきれない中途半端な自分の説得力の無さを日々突きつけられて、それでもいつも対等に立ち向かおうと精一杯背伸びをして、ずっとツンツンしてたなぁ。。


ははは~(^_^;)


あ、ちなみに、そんな理不尽さを日々私に教えこんでくださった「成人の大先輩」の上司を思い出したのがきっかけで書いたのが、昨年の「ショートショート豆本作ってきました~④」のサンタさんの話なのです~。


私が19歳~働いていた医療系の職場の上司のそのオッさんは、髪の毛が真っ白だけど名前は「黒○」さん。


若い頃は俳優志望だった事をいつも車で現場の移動中に聞かされ続け、毎年クリスマスが近づくと「クリスマスは苦しみます」という訳のわからない駄洒落を言い放ち、チームの責任者であるにも関わらず、仕事のミスをいつも下っ端の私に押し付ける無責任な人だった(笑)


その頃は、そのオッさんが心の底から大っ嫌いで。


だから私は悔しくて、その職場で嘱託社員になって、数年後絵の仕事を本格的に専念するために辞めてと猛烈に働くことができたのですが(爆)


そして、辞めてから数年後「黒○」さんの退職祝いに呼ばれて久々にお会いした時の事。

久しぶりに会ったにも関わらず、ツンツン生意気だった元部下の私の顔をみて喜んでくださり、その後お酒を飲み交わしながら、しみじみと「黒○」さんが、成人して働き始めた娘さんの事やご家族の事を、顔をほころばせながら嬉しそうに話す姿をみた時に、、、


大っ嫌いが大好きに、そして尊敬に変わっちゃった(笑)


不思議なんですけどね。


それと同時に、「俳優の夢をあきらめたくせに、仕事は無責任だった」なんて、なにも知らずに軽蔑していた若かりし頃の自分が恥ずかしくなったといいますか。。


「黒○」さんなりの「責任」を果たした大先輩の姿しかそこにはなく。


上司のいいとこもやなとこも全部、やっと私なりに咀嚼できたその瞬間、
「あ、今私ちょっとだけ大人になれたかな?」と思ったものです。


思い返すと、未熟な私は今までたくさんの「成人の先輩達」に胸をお借りしてきたなぁと。


その貴重な機会をなんども失敗して潰すこともありましたし、活かしきれず愕然とすることもありました。。


にも関わらず、何度も信頼してチャンスを与えてくださいました。胸を貸す方にもすごくリスクがあるのに。


今でもそれは変わらず。
本当にしみじみ、ありがたいことです。


逆に、何度も胸を貸しては一緒に泡食ってなんてことをしながら、(泡食ってないフリをしているが内実は超オロオロしてたり)胸を貸すことで成長させてもらったりね。


だから、成人式を過ぎた今の私的には、「成人の日」とはそんな風に胸を貸してくださったり胸を貸させてくれた、たくさんの方に改めて感謝して「自分の道を確認する日」としたいなぁ。


人は何歳になっても不完全で、その度に互いに胸を借りたり貸したりしつつ、それぞれの通過儀礼を通りながら、自分なりに「大人」を生きていこうとするものなのかもしれない。


去年よりはもうちょっと、気持ちよく胸を貸せる人に今年はなれたらいーなー!

三角の不思議

三角型というのは不思議な形である。

力学的に絶妙なバランスを保つ。

 

人間関係の中にも三角型はよくみられる。初めは一対一の関係から出発し、いつのまにやら三角型に発展するのがほとんどだ。

 

一対一という二極の軸は力学が崩れると逃げ場がない。

真向かいだから、互いへの力がダイレクトすぎるのである。仮にその二極をAとBとする。Aの力が80で、Bの力が20だとしたら、そのうちBが潰れてしまうわけだ。

互いへの力の受け渡しがうまくいかないと(大抵は信頼関係が崩れることでうまくいかない)たちまち力はエネルギー漏れをし循環しなくなり、それどころか怪我のリスクまで高まってしまう。

 

そこで、そうならないために、第三軸が必要となる。まっすぐ一方向にだけ向かっていた過剰な力を二方向に分散、もしくは2つの力を第三軸に集中して流すのである。

そうすることで怪我を防ぐわけである。

 

わかりやすいのが家族。

男と女の一対一の関係から始まり、

やがて2人が夫婦となって子を成す。子が生まれることにより夫婦が益々円満になることを、子は鎹なんて言ったりする。新たに生まれた子という第三軸に2人の力が一致団結し向かうわけだ。

これはわかりやすい良い形で三角関係が機能した場合。

 

一方で、良いとは言い難い三角関係もある。男女の三角関係なんかはその例である。一時、その関係は奇妙なバランスを保ちながら調和しているようにみえるが、内実アンバランスな力関係で成り立っているため段々と形が変形し最終的には必ず破綻する。なぜなら、一点にだけ力が集中するヒエラルキー構造になっているからだ。

 

三角関係の力学はなにも男女間だけではない。職場でも友人でももちろんおきうる。

 

職場でよく聞くパターンのひとつ。仲が悪かった従業員2人が、新人の従業員が新たに1人加わったことで、手のひらを返したようにタッグを組み、新人をネチネチやりはじめるなんてことも。不仲だった初めの二極が新たに登場した第三極に対して一気に負の感情を昇華することで2人の間の問題が一時的にそらされて不仲を忘れて仲良くなるなんていう奇妙な錬金術生まれる。負の感情を一気に請け負わされる第三極の立場はまるで竹炭か雑巾である。たまったもんではないだろうに。やれやれ。。

 

問題の焦点をそらすために新たな別の問題に意識をそらせるような手法を国家が国民に対してすることもこの構図とそっくりである。浮気された女性の怒りが浮気をした男性に向かうより浮気相手の女性に向かうなんていうのも典型的な焦点のズレである。

 

ちなみに余談。昔カルテットという名前のドラマがあったが、ふたつの三角関係の一片だけを背中合わせにして合体すると四角関係となる。そうすると四角なだけに死角ができる。この死角同士が見えてしまったらこのバランスは一体どうなってしまうのだろうと。。現実にそんなことがそうそうあるかはよくわからないが。

 

なるべくならば、ハズレくじの第三極にはなりたくないものだ。もし仮に、対立をしていた初めの二極が第三極の出現により仲直りをしたとしたならば、結果的に仲を取り持つ役割を果たした第三極には感謝をしたほうがいいだろう。しかしながら、人は都合良く忘れてしまうものである。

 

子を鎹として良い関係を築いていた夫婦も、いづれは子が成長し自立をすることを忘れてはいけない。いつまでも夫婦仲の接着剤として子を三角型にい続けさせてはいけないのである。なぜなら、人間関係の基本は一対一がすべてだからだ。

 

なので、いつでも第三極を必要としない一対一の信頼関係を築くことが大切である。

二極のみの視野狭窄に陥らずに互いを信頼し合い、あまりにも深くて大きな互いへの愛情を、破壊するためにではなく何かを創造するために調和させて、共同創造の力に変えて、2人で作り上げたい世界という第三軸に向かわせることで美しく昇華し循環させてほしいと願うばかりである。

 

二極が引き合う本来の力は愛と信頼なのだから。

 

 

 

 

骨を美しいと何故思うのか、ずっと考えていた。

 

晩年、癌を患い痩せ衰えてしまった父の姿を折に触れよく思い出す。

 

よく人は、病によって痩せ衰えていく人の姿をみて憐れむが、何故だか私は病床時痩せゆく父をみてそう感じることがなかったように思う。もちろん、父の身体が以前とは見違えるほどどんどん動けなくなっていくことに胸が傷んだし辛かったが、それとは全く違う次元で、痩せ衰えていくほどに父の持つ生命力がどんどんと浮き彫りになっていく様を目の当たりにしたからかもしれない。

 

末期癌を患い余命いくばくもない父と約二ヶ月、在宅医療にお世話になりながら自宅看護をして過ごした。

 

その間、毎日のように父の身体をマッサージした。咳き込む父の背中に温タオルを当てた時に、父の肩や背中の骨がまるで別人のように浮き立っていてハッとしたことがある。

 

最早、幼い頃に自転車の後ろに乗った時に掴まった父のガッシリとした筋肉の背中ではなかったが、何故か筋肉が落ち骨が浮き立ったその背中が不思議と弱々しく感じられなかった。むしろ、浮き立つ骨の存在感に圧倒された。これが、今まで父の強い身体を支えていた骨なのかと、背中に触れながら変わらぬ父の大きさを感じたことを覚えている。

 

きっと私はあの二ヶ月間、どちらかというと即身仏のようにあらゆるものが削ぎ落とされていく美しさを父の姿にみていたのかもしれない。

そして、衰えていくほどに生きようとする姿は、まるで蝋を溶かし最後の芯だけになって燃え尽きようとする直前に、一層明るく強く燃える火のようでもあった。

 

可哀想に痩せてと嘆くこともなく、それよりもその姿にこそ生命力をより一層感じる自分の感覚はおかしいことなのかなと思い、この時の感情を書くことをずっとためらっていた。

けれど最近、女性のヌード写真を骨が浮き立つかのように上から鉛筆で塗りつぶしガリガリに痩せさせた女性の絵を描く人の作品についての記事をたまたま目にした時、とても腑に落ちた。

極端に痩せる女性の姿の中にインドの女神と同じような生命力を見つけていたのではないかとその記事には書かれていた。

 

きっと私も痩せ衰えていく父の姿の中に、その作者が感じたものと似たような光を見つけていたのかもしれない。

 

その光とは生きる力だ。

生きる力は、その人がどう生きてきたのか証を残す。その証はその人を支えた骨そのものだ。

 

人は亡くなると最後は荼毘に付される。人の身体で燃やしても朽ちずに最後まで残るのは骨だけだ。

 

長年コツコツ築いて作りあげ、その人の身体を支え続けた柱の骨だけが残る。

 

骨はその人を支えてきた全ての記憶、美しいに決まっているのだ。

 

自分を形作る骨、自分を支える骨はコツコツ積み重ねていった日々の営みそのもの。日々何を積み重ねていくか。

 

日々生きるとは骨格形成なのだ。

 

骨まで愛してとはいうが、

骨まで愛される人生を、と願う。

 

 

 

 

心を贈る

誰かに贈り物を贈ること・誰かから贈り物を受け取ること。

 

どちらもとても嬉しいことですね。

 

人が人に贈ることができる贈り物には

あらゆるものがあります。

 

なにも物品やお金に限らず、

言葉でもいい、メロディーでもいい、

踊りでも、ちょっとしたお手伝いでも、はたまた時間でも、なんでも、

何かの行為を通じて

自分が今できることの精一杯を

表現することすべて、

立派な贈り物となります。

 

なにより大切なのは

心が込められているかどうかなのだと思います。

 

人の言動には

全てが現れるものです。

 

心から嬉しい。

心から楽しい。

心から穏やか。

心から悲しい。

心から苦しい。

心から辛い。

 

 

心から好き。

心から嫌い。

 

心からありがとう。

心からごめんなさい。

 

形だけ

うわべだけ

言葉だけ

重ねて

連ねて

表したとしても

知恵を絞ったとしても

そこに本当に

心が込められているかどうかが

大切なのだと思います。

 

心が込められてないものは

わかってしまうものです。

 

相手のために言っているのか、

しているのか、

自分のために言っているのか、

しているのか。

 

自分のために言っている言葉は

けっして相手に響くことはありません。

 

なぜなら

 

相手を想いやる

心のこもった

誠実な表現は

言い訳がましかったり

取り繕ったり

回りくどかったり

計算高かったり

間接的だったり

期待したり

見返りを求めたりなどしません。

 

本当に

相手に伝えたい

届けたい想いがあるならば

自分の小さな見栄など忘れて

真心をこめて

飾らず

言葉で態度で

真っ直ぐに

相手に

表現したいと思うものなのではないかと

思うからです。

 

そして、

そのような

真心からの表現は

必ず

真っ直ぐに

相手に響くように思います。

 

けれど、

その表現を

受け取るか受け取らないかは

相手の自由なのだと思います。

 

贈り物は

押し付けるものではありません。

 

心を贈るとは

そういうものなのかな?

と、思います。

 

贈り物って嬉しいですものね。

 

贈ること、贈られること。

相手に届ける・相手から受け取るってなかなか難しいなぁと思います。

けれど、本当は難しいものではなくて、

届けること・受け取ることに心から素直でさえあれば、本当はとってもシンプルなことなのかもしれません。

 

 

(´ー`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

届かなかった手紙のその後

(この文章は2015年に書いたものです)

昨日は嬉しいハプニングがありました!


今から約10年前に、地元で絵画教室を主宰していた時の教え子からフイの連絡があったのです!!


当時、小学生だった教え子がインターネットを通じて私を発見してくれたみたいでして!(笑)


いやぁ~、ビックリしましたぁ~!


ついに見つけられちゃったかぁ~!


そして、涙が出るくらい嬉しかったです!


当時の教室主宰の際に、みんなとコミュニケーションを深めたいと、生徒さんと親御さんと私の3人で各ご家庭毎に、コミュニケーションノートという交換絵日記をしていたのですが、


その時のコミュニケーションノートの画像と、今、彼が描いている作品も添付してメッセージを送ってきてくれたのです!


ずっと絵を描いていて、絵の道に進むそうです。自分なりのはっきりとしたビジョン、夢と目標を持ちながら、自分の意思でしっかりと、とびきりかっこいい進路を決めて歩んでる姿が伝わってきて、なんといいますか、なんとも言えない気持ちが込み上げてきまして。。


感無量と申しますか、、、


ホント、小鳥が巣立ってまた数年後、島に若鳥として悠々とした姿で帰ってきたのを見る親鳥のような心境と申しますか(笑)


まさかの未婚の私の親心!(爆)


当時の私は(今でもですが)ホントに未熟者で、先生らしからぬ頼りなさで、子どもたちに教えるどころか毎回教わるばかりで、子どもと遊んでもらってたような状態だったので…(汗)


当時、理想に燃えて教室を始めたものの、理想と現実の折り合いがつけられず、情けないことに、たった一年間で教室を辞めざるをえず、色々とみなさんに迷惑をかけてしまったしねぇ…


その後、心身を崩していた時期もあって、すっかり音信不通になってましたし。。


だから、先生らしいことはたいしてできなかったように思うのですが、あれから約10年の時を経て、教え子から当時の教室が楽しかったと今でも絵が好きなんだと、ありがとうと伝えてもらえて、なんといいますか、、


あぁ、これでよかったんだなぁと、


ホントに心が洗われたのでした~~

 

 

いやはや、人生というものは、、、


これだから、


おもしろいですね。


忘れた頃に、こんな風にまさかのサプライズが舞い込んでくるんですから


しかもとびきりステキな!


あらためて、教え子&当時の自分に
ありがとうと言いたいですよ~。


いやはや、わたしも頑張らないと!

 

 

ところで、この教え子と約10年ぶりに電波を通じて再会を果たした喜びのこの話には更に続きがありまして。

 


というか、本題はここだったんだなぁ~とその後深く理解する不思議なシンクロに気づきました。


長くなりますが、その話をここからは綴ります。

 


実は私にも、教え子のようにお礼を伝えたかったアートスクール時代の恩師がおりました。


その人は、高校生の時に通っていたアートスクールの教頭のK先生。


先生はデザイン科で小学生のクラスを中心に担当されていたので、受験科で油画専攻の自分は先生から絵の指導を受けることは数えるほどでほとんどなかったのですが、


にもかかわらず、私は先生から多大な影響を受けました。学校の面接の時に一番最初に話をしたのが先生で、それ以来、私は心を開いて先生に懐いて、深い信頼を寄せていました。


先生もよく気にかけてくださって折をみては、巻貝の形の不思議やら、向日葵の種の渦巻きの形の不思議やら、夕暮れの空の色の美しさやら、桜前線と共に北上しながら旅する親子やら、、色んな話をきかせてくださいました。


ホントに先生のお話を聴くのが大好きで。


そして、その頃進路のことや家のことやらで、悩んでいた私の相談にもよく親身に載っていただきました。


明るくて優しい先生でした。


アートスクールを卒業して働くようになってからもちょくちょく顔を出していましたが、働きながらも絵を描き続けていく道を模索しながらの日々を自分なりに送るようになってからは、段々と先生とも疎遠になり、月日が流れました。


私は10年前に初めて本を出版し、ちょうど教え子と同じように、すでにアートスクールをお辞めになっていた先生にどうしてもそのことを知らせたくて、お礼を伝えたくて、私は本と一緒に手紙を書いて送ったのでした。


けれど、手紙は届かずに戻ってきてしまいまして。


なんだか気になってその後、アートスクールに行き先生のことを伺うと、辞められた後、亡くなられたと。


目の前が真っ暗になりました。


途方もない絶望感。

 

なんでもっと、早く逢いにいかなかったのか、、


自分にもできることがなにかあったんじゃないだろうか、、


後悔するばかりでした。


もうお逢いして活躍を伝えることができない哀しみと同時に、置いてけぼりにされたような、裏切られたような気持ちにもなりました。


それからというもの、ずっと、先生の死について割り切れない想いを、いつもどこかで抱え続けながらも、あいも変わらずにただただ絵を描き続けてきました。


考え続けても、過去には戻れないし、自分は描き続けることしかできないので。


そんな風に月日を過ごして先生の死を知ってから10年の年月がたち、つい先日の不意の教え子から電波での再会。


しみじみ喜びを感じながら感慨に耽っていた時に「あ!」っと気づいたのです。


届かなかった手紙と私の本。


知ることができなかった先生の気持ち。

 

あれから10年後、不思議なシンクロで、私はあの時と同じようなシチュエーションで、同じような心の交流を果たしているではないかと。


今度は立場を逆転して。


教え子があの時の私と同じ立場で、そして、私が先生と同じ立場で。


そして、10年越しに「やっと果たせたんだなぁ。」と思いました。


私、先生に再会できたんだなぁ、、、


あぁ、やっと私と先生、あの時をやり直せたんだなぁと思いました。


私が教え子の近況を聞いて嬉しかったように、きっと先生も同じように私のことを喜んでくれたんだろなぁ。あの時の私の絶望を、教え子が喜びに変えてくれたんだなぁと。


そして、本当の事はわからないけれど、先生が抱えていた1人の人間としての心の闇や葛藤や弱さを、理想に燃えて始めた教室をやりきれずに子供達を哀しませてしまったあの頃の自分の心の弱さと情けなさを、そのまま受け入れることがやっとできたのかなぁとも思いました。

 

 

そしてそのことですごく救われたように思います。


フワッと「とける」時がくるんですね。。


あぁ、やっと終わらせることができましたね、先生~。

 

いやはや、時が経ってこんな形でこんな解決がやってくるなんて思ってもみませんでした。。どこになにが繋がっているのかわからないけど、今回の出来事は、実に鮮やかでお見事でした!


この絶妙なシナリオは一体、誰が書いてるのだろう(笑)


ホント人生はおもしろいですね。


起きることはみんな意味があって、無駄じゃないんだな~って、しみじみと思った秋でした。

 

そして、これから教え子とまた新たな関係を作っていける再チャレンジの素晴らしいプレゼントをもらえたことにしみじみ感謝。

 

 

心はタイムラグを一瞬で超える

(2016年9月に書いた文章です)

面白いもので、去年くらいから、不思議な再会が我が身に頻発している。

 

去年の今頃のことだったか、10年前に絵の教室をしていた時の教え子からSNSを通じて不意の連絡をもらった。

 

当時小学4年生だった彼はもう高校生になっており、来年度からかねてよりの希望だったというアニメーションの仕事への夢への第一歩として、海外の美術大学へ進学する事になり、私に連絡をしてきてくれたのだ。

 

教室を終えてからの10年もの間、元々の不精者の私は、当時の教え子や親御さんとも連絡を取り合うこともほとんどなくなり、完全に音信不通となっていた。

 

そんな訳で、私の連絡先も知らないハズの教え子からの突然の電波を通じての再会には、本当に驚かされたし、心から嬉しかった。

 

その彼は、いよいよ今年の秋から海外の美術大学留学のために出発し、今は海外で大学生活を謳歌している様子をちょくちょくSNSを通じて見せてくれている。その様子は本当に楽しそうで、いつもこちらまで楽しい思いをさせてもらっている。

 

そして、先日のこと。

自宅近くのコンビニで買い物をしていると、「先生!」と突然声をかけられた。

 

パッと声の方を振り返ると、よく知る懐かしいお顔が。そこには、昔の教え子のお母さん。

 

あまりにも懐かしく、お互いに再会を大喜びしてしまった。互いにそれなりに長い年月では色々あったものの、一度話せば心はその年月のブランクも感じさせない、そのまんま当時に戻ってしまったようだった。

 

実は、絵の教室を主催し始める数年前の20代中盤、絵を習いたい子がいると近所の知り合いから声を掛けられ、個人的に家庭教師のようにご自宅まで、小学生の男の子2人兄弟に絵を教えに行っていたことがあった。

 

声をかけてくれたのは、その2人兄弟のお母さん。私にとって初めての教え子さんとその親御さんで、初めて先生体験をさせていただいたご家庭だった。

 

当たり前だが、当時小学6年生と4年生だった兄弟も今は20代。とても背が高くなり、とっくに社会人で、朝早くから夜遅くまでお仕事をして元気にしているらしい。

 

おそらく、大人になった彼らの姿はわからないくらい当時とは一変しているだろう。もし再会できたなら、最初は互いにあまりの変貌ぶりに驚いて戸惑うかもしれない。けれど、姿形のタイムラグはあっても、心はすぐ当時に戻ってしまえるだろうなと、なぜか根拠なしに思えるから不思議なものだ。

 

なぜそう思えるかというと、絵を描いたり、物を作ることを通じて、互いに心からのやりとりを共有した記憶がしっかり残っているからだ。

 

長い人生の中で(と、いってもせいぜいまだ40年くらいのものだが)、教え子や親御さんと共に過ごした時間、顔を合わせ会話をしたのはほんの少し、本当に短かいものだった。けれど、そのほんの少しの時間の中で、心から互いに向かい合い、やりとりをし、色んな気持ちを共有したことは今でもハッキリと記憶の底に残っている。

 

だから、長い年月、それぞれの人生の中でいつの間にかその記憶が忘れ去られたとしても、一度再び遭遇すれば、その記憶の欠片が奥底から吹き出すみたいに舞い戻ってきて、互いの記憶の欠片と欠片がパズルのピースみたいにピタッと重なって繋がれるのだ。

 

マジックみたいにおもしろいもので。

 

そんな風に再び繋がれる喜びを思い出させてくれるような再会の頻発。

 

あらためて、かつての教え子と親御さんに心から感謝したい。

 

そうやって再会に気づけたのは、かつての教え子や親御さんが私に気づき、声を掛けてくれたからこそ。たまたまであっても、気づき、思い出し、繋がろうと意思しなければ繋がれない。

 

意思したその時、時間とか空間は一瞬で消え去ってしまう。

 

そして、また再び新たに繋がれたご縁を楽しみつつ、今、また、新しく巡り合い繋がれていくであろう色んなご縁を楽しみにしたい。そうしてできるであろう新しい記憶の欠片もまた、循環するように再び巡り巡って和のようにいつかきっと繋がれていくであろうから。