「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

心を贈る

誰かに贈り物を贈ること・誰かから贈り物を受け取ること。

 

どちらもとても嬉しいことですね。

 

人が人に贈ることができる贈り物には

あらゆるものがあります。

 

なにも物品やお金に限らず、

言葉でもいい、メロディーでもいい、

踊りでも、ちょっとしたお手伝いでも、はたまた時間でも、なんでも、

何かの行為を通じて

自分が今できることの精一杯を

表現することすべて、

立派な贈り物となります。

 

なにより大切なのは

心が込められているかどうかなのだと思います。

 

人の言動には

全てが現れるものです。

 

心から嬉しい。

心から楽しい。

心から穏やか。

心から悲しい。

心から苦しい。

心から辛い。

 

 

心から好き。

心から嫌い。

 

心からありがとう。

心からごめんなさい。

 

形だけ

うわべだけ

言葉だけ

重ねて

連ねて

表したとしても

知恵を絞ったとしても

そこに本当に

心が込められているかどうかが

大切なのだと思います。

 

心が込められてないものは

わかってしまうものです。

 

相手のために言っているのか、

しているのか、

自分のために言っているのか、

しているのか。

 

自分のために言っている言葉は

けっして相手に響くことはありません。

 

なぜなら

 

相手を想いやる

心のこもった

誠実な表現は

言い訳がましかったり

取り繕ったり

回りくどかったり

計算高かったり

間接的だったり

期待したり

見返りを求めたりなどしません。

 

本当に

相手に伝えたい

届けたい想いがあるならば

自分の小さな見栄など忘れて

真心をこめて

飾らず

言葉で態度で

真っ直ぐに

相手に

表現したいと思うものなのではないかと

思うからです。

 

そして、

そのような

真心からの表現は

必ず

真っ直ぐに

相手に響くように思います。

 

けれど、

その表現を

受け取るか受け取らないかは

相手の自由なのだと思います。

 

贈り物は

押し付けるものではありません。

 

心を贈るとは

そういうものなのかな?

と、思います。

 

贈り物って嬉しいですものね。

 

贈ること、贈られること。

相手に届ける・相手から受け取るってなかなか難しいなぁと思います。

けれど、本当は難しいものではなくて、

届けること・受け取ることに心から素直でさえあれば、本当はとってもシンプルなことなのかもしれません。

 

 

(´ー`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

届かなかった手紙のその後

(この文章は2015年に書いたものです)

昨日は嬉しいハプニングがありました!


今から約10年前に、地元で絵画教室を主宰していた時の教え子からフイの連絡があったのです!!


当時、小学生だった教え子がインターネットを通じて私を発見してくれたみたいでして!(笑)


いやぁ~、ビックリしましたぁ~!


ついに見つけられちゃったかぁ~!


そして、涙が出るくらい嬉しかったです!


当時の教室主宰の際に、みんなとコミュニケーションを深めたいと、生徒さんと親御さんと私の3人で各ご家庭毎に、コミュニケーションノートという交換絵日記をしていたのですが、


その時のコミュニケーションノートの画像と、今、彼が描いている作品も添付してメッセージを送ってきてくれたのです!


ずっと絵を描いていて、絵の道に進むそうです。自分なりのはっきりとしたビジョン、夢と目標を持ちながら、自分の意思でしっかりと、とびきりかっこいい進路を決めて歩んでる姿が伝わってきて、なんといいますか、なんとも言えない気持ちが込み上げてきまして。。


感無量と申しますか、、、


ホント、小鳥が巣立ってまた数年後、島に若鳥として悠々とした姿で帰ってきたのを見る親鳥のような心境と申しますか(笑)


まさかの未婚の私の親心!(爆)


当時の私は(今でもですが)ホントに未熟者で、先生らしからぬ頼りなさで、子どもたちに教えるどころか毎回教わるばかりで、子どもと遊んでもらってたような状態だったので…(汗)


当時、理想に燃えて教室を始めたものの、理想と現実の折り合いがつけられず、情けないことに、たった一年間で教室を辞めざるをえず、色々とみなさんに迷惑をかけてしまったしねぇ…


その後、心身を崩していた時期もあって、すっかり音信不通になってましたし。。


だから、先生らしいことはたいしてできなかったように思うのですが、あれから約10年の時を経て、教え子から当時の教室が楽しかったと今でも絵が好きなんだと、ありがとうと伝えてもらえて、なんといいますか、、


あぁ、これでよかったんだなぁと、


ホントに心が洗われたのでした~~

 

 

いやはや、人生というものは、、、


これだから、


おもしろいですね。


忘れた頃に、こんな風にまさかのサプライズが舞い込んでくるんですから


しかもとびきりステキな!


あらためて、教え子&当時の自分に
ありがとうと言いたいですよ~。


いやはや、わたしも頑張らないと!

 

 

ところで、この教え子と約10年ぶりに電波を通じて再会を果たした喜びのこの話には更に続きがありまして。

 


というか、本題はここだったんだなぁ~とその後深く理解する不思議なシンクロに気づきました。


長くなりますが、その話をここからは綴ります。

 


実は私にも、教え子のようにお礼を伝えたかったアートスクール時代の恩師がおりました。


その人は、高校生の時に通っていたアートスクールの教頭のK先生。


先生はデザイン科で小学生のクラスを中心に担当されていたので、受験科で油画専攻の自分は先生から絵の指導を受けることは数えるほどでほとんどなかったのですが、


にもかかわらず、私は先生から多大な影響を受けました。学校の面接の時に一番最初に話をしたのが先生で、それ以来、私は心を開いて先生に懐いて、深い信頼を寄せていました。


先生もよく気にかけてくださって折をみては、巻貝の形の不思議やら、向日葵の種の渦巻きの形の不思議やら、夕暮れの空の色の美しさやら、桜前線と共に北上しながら旅する親子やら、、色んな話をきかせてくださいました。


ホントに先生のお話を聴くのが大好きで。


そして、その頃進路のことや家のことやらで、悩んでいた私の相談にもよく親身に載っていただきました。


明るくて優しい先生でした。


アートスクールを卒業して働くようになってからもちょくちょく顔を出していましたが、働きながらも絵を描き続けていく道を模索しながらの日々を自分なりに送るようになってからは、段々と先生とも疎遠になり、月日が流れました。


私は10年前に初めて本を出版し、ちょうど教え子と同じように、すでにアートスクールをお辞めになっていた先生にどうしてもそのことを知らせたくて、お礼を伝えたくて、私は本と一緒に手紙を書いて送ったのでした。


けれど、手紙は届かずに戻ってきてしまいまして。


なんだか気になってその後、アートスクールに行き先生のことを伺うと、辞められた後、亡くなられたと。


目の前が真っ暗になりました。


途方もない絶望感。

 

なんでもっと、早く逢いにいかなかったのか、、


自分にもできることがなにかあったんじゃないだろうか、、


後悔するばかりでした。


もうお逢いして活躍を伝えることができない哀しみと同時に、置いてけぼりにされたような、裏切られたような気持ちにもなりました。


それからというもの、ずっと、先生の死について割り切れない想いを、いつもどこかで抱え続けながらも、あいも変わらずにただただ絵を描き続けてきました。


考え続けても、過去には戻れないし、自分は描き続けることしかできないので。


そんな風に月日を過ごして先生の死を知ってから10年の年月がたち、つい先日の不意の教え子から電波での再会。


しみじみ喜びを感じながら感慨に耽っていた時に「あ!」っと気づいたのです。


届かなかった手紙と私の本。


知ることができなかった先生の気持ち。

 

あれから10年後、不思議なシンクロで、私はあの時と同じようなシチュエーションで、同じような心の交流を果たしているではないかと。


今度は立場を逆転して。


教え子があの時の私と同じ立場で、そして、私が先生と同じ立場で。


そして、10年越しに「やっと果たせたんだなぁ。」と思いました。


私、先生に再会できたんだなぁ、、、


あぁ、やっと私と先生、あの時をやり直せたんだなぁと思いました。


私が教え子の近況を聞いて嬉しかったように、きっと先生も同じように私のことを喜んでくれたんだろなぁ。あの時の私の絶望を、教え子が喜びに変えてくれたんだなぁと。


そして、本当の事はわからないけれど、先生が抱えていた1人の人間としての心の闇や葛藤や弱さを、理想に燃えて始めた教室をやりきれずに子供達を哀しませてしまったあの頃の自分の心の弱さと情けなさを、そのまま受け入れることがやっとできたのかなぁとも思いました。

 

 

そしてそのことですごく救われたように思います。


フワッと「とける」時がくるんですね。。


あぁ、やっと終わらせることができましたね、先生~。

 

いやはや、時が経ってこんな形でこんな解決がやってくるなんて思ってもみませんでした。。どこになにが繋がっているのかわからないけど、今回の出来事は、実に鮮やかでお見事でした!


この絶妙なシナリオは一体、誰が書いてるのだろう(笑)


ホント人生はおもしろいですね。


起きることはみんな意味があって、無駄じゃないんだな~って、しみじみと思った秋でした。

 

そして、これから教え子とまた新たな関係を作っていける再チャレンジの素晴らしいプレゼントをもらえたことにしみじみ感謝。

 

 

心はタイムラグを一瞬で超える

(2016年9月に書いた文章です)

面白いもので、去年くらいから、不思議な再会が我が身に頻発している。

 

去年の今頃のことだったか、10年前に絵の教室をしていた時の教え子からSNSを通じて不意の連絡をもらった。

 

当時小学4年生だった彼はもう高校生になっており、来年度からかねてよりの希望だったというアニメーションの仕事への夢への第一歩として、海外の美術大学へ進学する事になり、私に連絡をしてきてくれたのだ。

 

教室を終えてからの10年もの間、元々の不精者の私は、当時の教え子や親御さんとも連絡を取り合うこともほとんどなくなり、完全に音信不通となっていた。

 

そんな訳で、私の連絡先も知らないハズの教え子からの突然の電波を通じての再会には、本当に驚かされたし、心から嬉しかった。

 

その彼は、いよいよ今年の秋から海外の美術大学留学のために出発し、今は海外で大学生活を謳歌している様子をちょくちょくSNSを通じて見せてくれている。その様子は本当に楽しそうで、いつもこちらまで楽しい思いをさせてもらっている。

 

そして、先日のこと。

自宅近くのコンビニで買い物をしていると、「先生!」と突然声をかけられた。

 

パッと声の方を振り返ると、よく知る懐かしいお顔が。そこには、昔の教え子のお母さん。

 

あまりにも懐かしく、お互いに再会を大喜びしてしまった。互いにそれなりに長い年月では色々あったものの、一度話せば心はその年月のブランクも感じさせない、そのまんま当時に戻ってしまったようだった。

 

実は、絵の教室を主催し始める数年前の20代中盤、絵を習いたい子がいると近所の知り合いから声を掛けられ、個人的に家庭教師のようにご自宅まで、小学生の男の子2人兄弟に絵を教えに行っていたことがあった。

 

声をかけてくれたのは、その2人兄弟のお母さん。私にとって初めての教え子さんとその親御さんで、初めて先生体験をさせていただいたご家庭だった。

 

当たり前だが、当時小学6年生と4年生だった兄弟も今は20代。とても背が高くなり、とっくに社会人で、朝早くから夜遅くまでお仕事をして元気にしているらしい。

 

おそらく、大人になった彼らの姿はわからないくらい当時とは一変しているだろう。もし再会できたなら、最初は互いにあまりの変貌ぶりに驚いて戸惑うかもしれない。けれど、姿形のタイムラグはあっても、心はすぐ当時に戻ってしまえるだろうなと、なぜか根拠なしに思えるから不思議なものだ。

 

なぜそう思えるかというと、絵を描いたり、物を作ることを通じて、互いに心からのやりとりを共有した記憶がしっかり残っているからだ。

 

長い人生の中で(と、いってもせいぜいまだ40年くらいのものだが)、教え子や親御さんと共に過ごした時間、顔を合わせ会話をしたのはほんの少し、本当に短かいものだった。けれど、そのほんの少しの時間の中で、心から互いに向かい合い、やりとりをし、色んな気持ちを共有したことは今でもハッキリと記憶の底に残っている。

 

だから、長い年月、それぞれの人生の中でいつの間にかその記憶が忘れ去られたとしても、一度再び遭遇すれば、その記憶の欠片が奥底から吹き出すみたいに舞い戻ってきて、互いの記憶の欠片と欠片がパズルのピースみたいにピタッと重なって繋がれるのだ。

 

マジックみたいにおもしろいもので。

 

そんな風に再び繋がれる喜びを思い出させてくれるような再会の頻発。

 

あらためて、かつての教え子と親御さんに心から感謝したい。

 

そうやって再会に気づけたのは、かつての教え子や親御さんが私に気づき、声を掛けてくれたからこそ。たまたまであっても、気づき、思い出し、繋がろうと意思しなければ繋がれない。

 

意思したその時、時間とか空間は一瞬で消え去ってしまう。

 

そして、また再び新たに繋がれたご縁を楽しみつつ、今、また、新しく巡り合い繋がれていくであろう色んなご縁を楽しみにしたい。そうしてできるであろう新しい記憶の欠片もまた、循環するように再び巡り巡って和のようにいつかきっと繋がれていくであろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海と溶け合う太陽

私の中には2人の自分がいる。


愚かしいほどに、
感情に溺れる自分



恐ろしいほどに、
無情に観る自分

 

優劣もなくどちらも同じ自分。

 

感情の海に溺れて苦しくなれば、そんな自分を高く空を飛ぶ鳥になってただ見つめる。


鳥になると楽だ。

視界がパッと開けて感情の霧が晴れていってしまうから。


でも、そのうち何処までも果てしなく広がっていく空に、たった1人きりだと気づいて、怖くなって、ハッとして、慌てて自分の境界線を覆う毛布を脱ぎ捨てて、そしてまた、性懲りもなく感情の海に潜りたくなってくるんだ。

 

感情の海は心地がいい。自分と誰かの境界線が溶けあって、混じり合って、なくなって、自分という形が溶けて消えて霧散していく時1人きりじゃないと安心する。

 

 

海でも空でも、果てしなさは心地が良いけど、続きすぎると段々とストップモーションの世界のように益々自分の身体に自分が閉じ込められている感覚に戻るのは何故なんだろ?


どうして感情ってあるのかな?


もし、人間に感情がなくなったらきっとラクだろうね。起こる出来事にただ淡々と出会って行くだけだからきっと機械みたいになっていくんだろな。

だから、大波も小波もないまま凪のまま終えていく世界。心の波が立たない世界はきっと、まるで最初から時間が止まってて、永遠に閉じ込められてる世界。


そしたら、きっと、誰かと一緒に生きる意味もなくなってゆくだろね。何にも感じないから。


そんなの、やっぱりつまらないな。


だから、生きるには物語が必要なんだろね。感度という道標を頼りに、感情って海に溺れずに感情って波を乗りこなす物語。

 

空を飛ぶ自分と、海の上を波乗りする自分を結ぶ地上の物語。


ここまで書いて、昔みたゴダールの映画「気狂いピエロ」のラストシーンを思い出した。

 

10代にみたせいか、映画の内容は朧げに忘れてしまったけど、ラストシーンのランボーの詩「永遠」と一面に広がる空と海の境界線だけは強烈に覚えている。

それだけで私には十分だった。

 

 

『永遠』

「またみつかった」
「なにが?」
「永遠が。海と溶け合う太陽が」

 

 

 

 

 

せつない星・優しい星

生きることはせつないことだなと思う。


今、この瞬間に見た景色の美しさが、


永遠に続くように思えても、


砂がさらさらと崩れてこぼれ落ちていくように、

一瞬の出来事として瞬く間に消えていく。


握りしめた雪が、


掌の中で溶けて無くなるように。


本当はわかっているのだ。


この瞬間は二度とこないし、


どんなに愛着があっても


永遠に続くことなどないのだと。


そしていつの日か、


記憶の彼方に消えていってしまうということも。


だからこそその瞬間が、


いつでも宝石みたいにキラキラしているのだ。


今という瞬間を、


いつも大切に味わって抱きしめながら生きていけたなら、


きっと、それだけで十分なんだと思う。

 

一期一会のせつない星。

 

優しい、しあわせな星。

 

ゆめまぼろし。

和歌のような音律の歌

 


昨日は綺麗な満月を眺めるコトができました。

少し湿り気を帯びた柔らかな優しい光をたたえたしっとりとした月明かりに感じられました。


お月様といえば、『竹取物語


TVでも放映されてましたが、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を思い浮かべます。


スケッチやクロッキーのような手描きの線のタッチと、水墨画を思わせるような余白を活かした淡い背景。徹底的に手描き感にこだわった素朴な絵で構成された表現方法が、この物語の世界観にピッタリ。


高畑監督はあえて、物語を見る側それぞれの想像力に委ねるために、リアルに描き込み過ぎずに、手描きの線の世界観に拘られたようです。


そして、「木を植えた男」などの作品で有名なカナダのアニメーション作家のフレデリック・バックさん(2013年12月24日没)にとても影響を受けていらっしゃるそう。


フレデリック・バックさんのような手描き感の作品を作りたかったと。


そして、完成した『かぐや姫の物語』を病床のフレデリックさんに見ていただきたいと自宅を1人訪ねられ、一緒に最後までソワァーにくつろぎ手を握りしめながら作品を見られて、数日後にフレデリックさんが亡くなられたという。


以前にTV番組の中で知りました。


誰かへの尊敬と憧れが原動力になり、そうして全身全霊で作り上げた作品が更に誰かの胸に憧れと尊敬の波を起こし新しい原動力となり続ける。


肉体の死を迎えたとしても、精神は誰かに引き継がれて延々と形を変えて生き続けるのだなぁと、このお二人の素敵な交流をみながら、しみじみと感動したのを覚えています。


いいですね。


さて、『かぐや姫の物語』。


私が印象深く感じたのは、劇中で多用された「わらべ歌」と「天女の歌」。


♪~ 鳥・虫・けもの・草・木・花

春夏秋冬連れてこい
春夏秋冬連れてこい

(一部引用しました)


高畑監督が作詞作曲されているそう。


子どもたちが口ずさむ歌詞とメロディーが暖かく牧歌的なかんじで素朴な響きをともなって耳に残ります。ステキな歌ですよね。


でも、印象深いのはやはり「天女のうた」


かぐや姫がふと、憶い出すように口ずさむあの音律が、同じメロディーラインと詩を元にしている「わらべ歌」とは明らかに響き方が違います。


私は音楽に詳しくはありませんが、日本的なあの独特の音律。


ちなみに私は、お三味線で長唄とかにも憧れます。都々逸とか。好きです。雅楽の響きとかも大好きだし、義太夫節なんかも好きです。


遡れば、あの日本的な音律は和歌の披講にいきつくのかしら?


なんとも言えないくらい、胸の奥がギュッとなって、あの歌だけで泣けるんですもの。なぜか。


不思議ですよね。


簡潔な言葉と音の深み。


和歌のようなあの歌には、喜怒哀楽が凝縮されてつまってて、ちょっとした拍子にこちらの感情を溢れださせてしまう不思議な作用を感じました。

 


「天女の歌」


まわれ めぐれ めぐれよ 遥かなときよ

めぐって 心を 呼びかえせ

めぐって 心を 呼びかえせ

鳥 虫 けもの 草 木 花

人の情けを はぐくみて

まつとしきかば 今かへりこむ

 

あたしの平成最後から二番目の誕生日

「お母さんがわたしを産んだから今日は美味しいものを一緒に食べられるんだね〜」

 

「わたしが生まれたから今日は美味しいものを一緒に食べられるんだね〜」

 

 

と、

のほほんと言いながら、今晩は親子水入らずでちょっと上等なお寿司を食べた。

 

そうだよね。

産んでくれる存在がなかったら

生まれることもないし、

生まれる存在がなかったら

産むこともできない。

 

その前に、

お父さんとお母さんが一緒にならなかったら私がお母さんのお腹に宿ることもないし、

そもそもお父さんとお母さんが出会わなければ一緒になることもない。

そして、お父さんとお母さんが生まれなければ出会うこともない。

 

だから、お誕生日はみんなとわたしにありがとうの日なのだな。

 

気づいたら、

誰かにしあわせにしてもらおうと思わなくても、いつも必ず誰かや何かが勝手にわたしをしあわせにしてくれていて、誰かをしあわせにしようと頑張らなくても、誰かや何かが勝手にいつもわたしからしあわせを感じてくれている。

 

知らぬ間にみんなでしあわせを分かち合ってる。

 

しあわせになろうと思わなくても

すでにしあわせがそこら中に溢れてる。

 

だから、わたしはただ自分らしく安心して存在していればよいのだ。世界にぽふっと飛び込めばそれだけでいいのだ。世界はおもっているよりも、圧倒的に優しいのだ。

 

私の思うしあわせは喜怒哀楽全部を豊かに感じられること。

 

嬉しい楽しいだけじゃなく、悲しい寂しいって感じられることさえしあわせの形の一つ。

 

だから、しあわせってものすごく

豊かで広くってごく当たり前のことだったりするから、ぼーとしてるとうっかりわすれちゃう。そしてそれはいつも何一つ同じ形などない。そう思うと、わたしの感じてる毎瞬は偶然だらけの奇跡のパラパラマンガなのかもと、ふとそんなことを思った誕生日。

 

父があの世にさっさと逝っちゃってから約4年。

運動会の障害物競争みたいにめくるめくだった約4年。

そんな中、父だけじゃなく平成までもがお先に失礼と言ってきた!

奇遇にも、来年平成が終わるのとほぼ同じくして実家仕舞いを完了することを決めている。なので、今年は今までの家族としての形の解体と再構築への仕上げの年となる。

あと一年で平成と実家に幕!

 

♪こんな〜時代も〜あぁ〜ったねとぉ〜、

いつか〜笑える日がぁ〜くるわぁ〜

 

♪まぁ〜わる〜ま〜わる〜、時代はまわる〜、よろぉ〜こび〜、かなしみくりかえぇ〜ええし〜

 

もうすでにこの曲が頭の中をぐるぐる回っている。。

そして、年末には蛍の光がぐるぐるまわるのだろうよ。。

 

愛着のある場所を手放すのはきっと寂しいだろなぁ〜。

 

でも、まだ知らぬ新しい場所に行くこともワクワク(まだどこに行くかも決めてないけど!)

 

平成の次が何になるのかくらい、未知!

 

やっぱり、人は冒険したくなる生き物!

 

喪失と孤独のトンネルを抜けた先には進むべき光があるさ〜!笑

 

その先になにが待ってるのかはまだよくわかんないけど、まぁわかっちゃったらつまらないからそれもよし。

 

とりあえず、荷物は少なめに軽めにしといた方がいい。ブツブツ。。

そして準備は怠らず。ブツブツ。。

 

来年の今頃、わたしが何処でなにをしていたとしても、自分がマイホームなのだから大丈夫!と胸を張って堂々と言える自分になっていたいから、やり残しのないよう悔いなく今日も感謝してコツコツ励もうと思った、平成最後から二番目のお誕生日であった。

 

 

(怠け者の上に忘れっぽいので、お誓いを書いとくこととした誕生日)