「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

球根

(この文章は2017年1月17日に書いたものです。)

 

唐突ですが、私は球根がすきです。

なんか、かわいい。

ぽこっと丸くて。

手のひらにおさまるサイズも。

仲間みたいな、どんぐりとか木の実とか種とかお豆もすき。

つぶつぶ。丸いこたち。

やっぱり、かわいい。

 

あの小さな粒が土の中に植えられると、お水と光がお手伝いして、いつの間にか、にょきにょき成長して、粒から想像もできなかった不思議な形や美しい姿に見事に変身するのだもの。

 

なんとも愉快!

 

種自体はみんな同じような素朴なかたちだったりするのにね。

すごいな〜と思います。

 

あの小さな粒の中にたくさんの憧れやイメージや情報や計画がぎゅっと濃縮してはいっているのかな?

 

粒の見た夢。

 

その夢を、土や水や光の助けを借りて具現化する粒。

 

なんか、ロマン。

 

秋から冬は、たくさんの球根が出回ります。リコリス水仙・ヒヤシンス・アネモネラナンキュラス

 

そして、球根といえばやっぱりチューリップ。

 

チューリップは、寒くなる前に土に植えて、春の開花を待ちます。

 

球根は、春が来るまで、じっくりと、真っ暗な、ふかふかの土の中で、根をにょきにょき伸ばしながら、たくさんの栄養を蓄えて、ひたすらに暖かくなるのを待っています。

そして、時期がきたら、ポンッと青々とした芽を土の中からひょっこり出します。

 

きっと、球根は、芽を出すタイミングを知っているんだろね。

だから、安心して土の中で冬を過ごしてる。

 

そして、芽を出すと、、、

 

(球根の声)

あ、あったかい…

あ、あかるい…

あ、まぶしい…

あ、きもちいい…

 

のびのび

ぐんぐん

ぽんっ!

 

きっと、こんな感じで花を咲かせるんだろうな。ほっこり。

 

球根は、芽を出すこと、茎を伸ばすこと、咲くことをためらったりなどしないのでしょう。きっと、咲くことが花の定めだと、ミッションなのだと知っているからだね。

 

チューリップは、バラになりたいと思っても、チューリップとしてしか咲けないし、バラはチューリップになりたくてもバラとしてしか咲けません。

 

チューリップは春に咲くけれど、

バラは春と秋に咲きます。

 

春に咲く花

夏に咲く花

秋に咲く花

冬に咲く花

毎年咲く花

一年限りの花

数年に一度咲く花

 

色んな花があります。

全部が完璧なタイミングで、全部が違う花を咲かせます。

 

人も同じなんだろね。

 

いつ、

どこで、

どのタイミングで、

どんな花が咲くのか、

私たちは

本当は知ってるはずなのに、

全く気づいてないから

 

だから、

 

いつ、

どこで、

どのタイミングで、

こんな花が咲けばいいのにと、

憧れて夢を見るのかもしれません。

 

バラがいい、

紫陽花がいい、

桜がいい、

百合になりたいと、

 

春に咲きたい、

夏に咲きたい、

一年中咲きたい、

毎年咲きたいと、

憧れたりするのかもしれません。

 

でも、バラじゃなくて、たんぽぽだったりするかもしれないし、紫陽花じゃなくて、向日葵だったりするかもしれません。それは必ずしも、自分が憧れた花の種類ではないかもしれません。それは花開くまで、咲いてみるまでわかりません。

 

バラはバラでも、赤いバラじゃなく白いバラかもしれないし、つるバラじゃなく、ミニバラだったりするかもしれません。

 

好きか嫌いかはあるかもしれないけれど、どんなお花であっても、比べようもなく、どれも個性的で美しいことには変わりはありません。

 

そう考えると、人も、自分と誰かや、誰かと誰かを比べたりすることは、なんの意味も無いことに思えたりします。

 

だって、そもそもがみんな同じじゃないのだから。咲く花も時期も。

 

毎年咲く花もあれば、

一年に一度、たった1日だけ咲く花もあります。何年かに一度しか咲かないお花もあります。そこに優劣はありません。

 

だから、もし、どうしようもなく自分と誰かとを比べてしまって、自信をなくしたり、落ち込んでしまったり、腹を立てたり、羨んだりしたなら、そういう時は、みんなお花だと思えばいいかもしれませんね。

 

そしたら、自信をなくしたり、悲しくなったり、誰かに腹を立てたり、羨んだりすることは、なんの意味もないことなのだと、気持ちが和むかも。

 

土や水や光の助けを借りて、時に任せながら、それぞれのお花をそれぞれのタイミングで咲かせれば良いのでしょう。

 

なんて、一年で1番寒いこの冬、春に思いを馳せつつ、花になぞらえて思ったのでありました。

 

 

 

 

一対一野球の手の抜き方

(この文章は2016年11月に書いた文章です。)

以前、「一対一野球」という、甥っ子が小さい頃によく野球の遊びと称した練習に付き合っていた話を笑いを込めて書いたのですが(一本前の11月30日の記事)、そういえばと、思い出したことがあります。

 

 

それは、”一対一野球の手の抜き方”について。

 

一対一野球はまともに付き合うとクッタクタになります。

 

(詳しくは、1つ前の「一対一野球」を読んでください。)

 

子どもの要求というのは、そのまま優しさのみで受け止め続けていると、どんどん調子こいてエスカレートするばかりなので、時々、調子に乗らせすぎない”工夫”をすることで、上手に手を抜いて付き合い続けておりました。

 

というより、私じゃなく、

義理の兄が(笑)

 

甥っ子の父親です。

(私の姉の旦那さん)

 

いや、工夫というよりも、最早、大人の悪知恵と申しましょうか(笑)”愛ゆえに”と、申しましょうか。。

 

そのへんは流石に実の父親で男。やり方はちっとも大人的ではないし、理不尽だし、徹底的に容赦ないです(爆)

 

基本、甥っ子のバッティングの練習相手として、大人がずっとピッチングをしてあげるのですが、私の場合、”たくさん当てた打てたできた!”という達成感を心から味わって欲しい、そして調子に乗って自信をつけて益々野球が好きになって欲しいと、打ちやすいボールをずっと投げ続けてあげていたわけなんです。なので、要求に応えるかの如く、ずっと全力で付き合う私の方は最終的にクッタクタになるのですが、子どもにしてみれば思い通りになって、きっと達成感と満足感で一杯でしょう。

 

ですが、義理の兄の場合は違います。

 

基本は私とおなじで達成感満足感を味わってもらうなんですが、そこに時々程よい”試練”をちょいちょい挟みます。

 

え?程よい試練!?

 

ちょっと大袈裟な言い回しですが、そうだな、難関、壁、スンナリいかない、なかなかどーにもならない、うまくいかない感っていうんですかね。

 

ゲームでいうところの障害物みたいなものとでもいいましょうか。

 

それはどーいうものかというと、子どもの欲求は底なしなので、大人側は体力的にも全力でずっと練習に付き合い続けると疲れるし、一方的で面白くもないので、時々ワザとピッチングで暴投したり(ボールはその度に甥っ子に取りにいかせる。その間体力回復(笑))いつもより、実力的に打てないような早いボールを投げ続けたりして、甥っ子がナイスバッティングをできないようにワザとしむけるのです。(笑)

 

はい、突然の大人の特権、力の行使!

ええ、ええ、やり方が超大人気ないです!そして、理不尽この上なく容赦ないです!

 

甥っ子にしてみれば、突然ボールを気持ちよく打てなくなり、今までと違い、自分の都合よく合わせてくれなくなったのがわかるので、不愉快極まりないし、思い通りにならないから、ちっとも楽しくありませんよね。

 

そして、子どもは本能的に大人には絶対に力じゃ敵わないのがわかってますから、どーにもならないとみるや、ついには怒り出します。「ずるい!」とか知りうる限りの言葉を並べたてて抗議したりします。そして、立ち向かってなんとしても打とうとしたり。

 

でも、ここが義理の兄のさじ加減のうまさ。様子をみて、面白がって笑い流しながら、何事もなかったかのように、また打ちやすいボールを投げて気分をあげてあげたりするわけです。そして、また調子に乗ってきたら試練を挟むという(笑)この繰り返し。その様子はコントみたいなんですが、結果的に、山あり谷ありのほうが、甥っ子の、男子特有の負けず嫌いを刺激されてやる気になってりして、最終的に満足度が増してたりもしてて。

 

この飴と鞭の使い分け!

このツンデレ感!

 

そうやって、義理の兄は、ワザと時々程よく甥っ子に打たせない時間をつくりつつ、自分の体力回復を測りながらもトコトン子どもの遊びに付き合っていたわけでした。

 

なるほどなーと、今更ながら思います。

 まぁ、もちろん、やり方には賛否両論はあるでしょう(笑)ケースバイケースですが、嘘も方便的というか、ジレンマ加減が素晴らしく(笑)

 

一時のことならば、全力でトコトン付き合うのもいいでしょう。けれど、長く付き合い続けるには、程よい”手抜き”=”遊び”が必要です。一方通行では長くは付き合えません。偏るとどっちかがくたばります。

 

大事なのは、決して、自分の都合のいいように相手をコントロールするためではなく、自分と相手が対等に、お互いが気持ちよく面白く付き合い続けられるようにする工夫。一歩間違えると、相手をコントロールすることになりかねませんから、お互いが楽しむことが前提となります。

 

大抵の女子は、飴と鞭ならば、飴を求めて、そして飴を与えたくなるものですが、義理兄の鞭使いの”優しさ”の真髄をみるにつけ、飴だけではいかんなぁ、程よい飴と鞭のバランスが大事だなぁ〜と思うのでありました。

 

”厳しさ風味の優しさ”、”どーにもならない理不尽さ故の面白さ”というのも、ある意味、愛の形ですからね。

 

 

 

 

 

 

 

一対一野球

 (この文章は2015年3月に書いた文章です。)

 

野球といえば、甥っ子のやまと。

地元の少年野球チームに所属していて、毎週末になると朝早くから練習に試合にと頑張っているらしいです。


なにやら随分上達したようで、なかなか活躍しているらしいのですが、、、

 

「…ふっ、
そりゃそうでしょ。。。」


と、遠い目をしながら思ってしまう私。


…そう遠い目をしながら、、、
( ̄ー ̄)


ええ、ええ、

彼には相当付き合いましたからね、私。

( ̄ー ̄)


彼が小さい頃、どれだけ野球に付き合ったことかっ!

 

それはそれは忘れもしませんよ。

真夏の1対1野球の日々を…
( ̄ー ̄)

 

当時5歳のやまとは野球を覚えたてで、野球で遊ぶ時にはバッティングがメイン。ボールをいかに遠くまで打てるようになるか練習したくて仕方なかったようです。


従いまして、そんなやまとくんに付き合う2人野球は常に、


やまと→バッターのみ

私→ピッチャー
ファースト
セカンド
サード
ショート
ライト
レフト
センター
時々キャッチャー

攻守の交替一切なし!


という、圧倒的に不公平な対戦スタイルでした。


ええ、ま、5歳児相手ですからね。。




…ところが、


やまとくん、パッカンパッカン遠くまで打ちまくりましてね。


!!( ̄◇ ̄;)


5ちゃいだからと舐めておりました


身体が小さいのでストライクゾーンが狭く、更には打ちやすいようにとピッチャーとしては丁寧にゆっくりいい球投げてあげていたわけですよ。。


そしたらですね、


容赦ない5歳児の彼は右に左に真ん中にと
ナイスミート連発しまくるんですね…


あぁ、優しい叔母心が仇となり


私はピッチングするや、即、外野手に早変わりです。


後ろを誰も守ってやくれてませんからね。


真夏の公園をいい大人が必死に白球を追いかけている間に、5ちゃいの彼は架空のベースを一塁二塁三塁とぐるぐる嬉しそうに走ってホームイン。

 

…って、おいっ!!!(ーー;)

 

不利だよ不利っ!
不公平だよ不公平っ!


しかしながら、相手は5歳児。
唯我独尊。
理屈なぞ通じません。


「まぁ、彼のバッティング技術が向上すれば良い」と大人的理由で、「こんなことはなんでもないさ」的な顔をして、圧倒的理不尽を飲み込んで付き合い続けるも、そんな大人なぞに全く遠慮なく続く容赦ないやまとくんのナイスバッティング…


延々と続くランニングホームラン。。
永遠に来ない守備交代。。


あぁ、、いつの間にか、自らがピッチングマシーンを兼務しながら、やまとくんのノックを受けているような図。。高校のソフト部時代の真夏のノックの再現か!


あの5歳児は、天使のように無邪気なお顔をして、なんてサディスティックなんでしょう!


(T ^ T)


こんな1対1野球の相手をよく日が暮れるまで付き合ってあげたのですよ。私。

 

やまとよ、忘れたなんて言わせんっ!

 

忘れてたって、
いつまでもずっと応援し続けてやる!

”死への抵抗”から”死の受容”へ、そして”今を生きる” 私的 ボルタンスキー考 その2

(この文章は2016年11月1日に書いたものです。)

 

春から始まったボルタンスキー作品を巡る、巡礼の旅の締めくくりとして、秋の巡礼の旅の地”豊島”に、再び訪れました。

 

春季と同様、自転車にて、風を感じながらの自然豊かな島巡りを満喫しました。

 

秋の豊島は、春を彩っていた景色とはまったく違う美しさで、再び私を迎え入れてくれました。

 

ちょうど稲の収穫時期なのか、首を垂れた稲穂がたわわに実り、段々畑は一面、黄金色に彩られ、海と空の青色とのコントラストがとても美しく、島内のいたる所に、ピンク色の秋桜、黄色いセイタカアワダチソウ、銀色のススキが咲き乱れ、木々はオレンジ色のみかんや柿がたくさん実をつけていました。

四季の移ろうその光景は、まさしく島の名前そのままに豊かなものでした。

 

早速、ボルタンスキーの新作の「ささやきの森」へ。

 

自転車を駐輪場に停めて、山道を20分程歩いて登っていった、緑深い森の中に作品がありました。辿り着く前に、すでに、チリンチリンと風鈴の音が森の中のどこからか聞こえてきて、誘われるように辿り着きました。

 

薄暗い森の中に、無数の風鈴が、透明の短冊をつけて、風に揺れて、チリンチリンと心地よい音色を奏で、時折、木漏れ日が透明の短冊を照らし、揺れる度に光が反射する様子がとても心地よく、木の長椅子に腰掛けて眺めたり、風鈴の森の中を歩いたりしながら、長い時間をすごしました。

 

ボルタンスキーが新作について語っていたように、とても心が穏やかになるような空間でした。

 

この作品には、希望すれば、大切な人の名前を(亡くなった方、生きている方どちらでも)風鈴の短冊に残すことができ、この作品も「心臓音のアーカイブ」同様に、鑑賞者が参加し続けるかぎり未完成の、終わりのない作品のようです。

 

この作品には、「死」や「消滅」という言葉につきまとう不穏さや、喪失感、寂しさはあまり感じず、どちらかというと、残り香のように漂いながら、暖かく何かが包み込んでいるような、柔らかい優しい空気を感じました。不思議です。

 

鳥や虫の鳴き声、循環する森の緑、空間すべてが生き物の息吹に満ちているからかもしれませんが、ここでは、見えるもの見えないものが、ただ、一緒に”在る”ことの心地よさしか感じられませんでした。ボルタンスキーが「愛の森」と言ったのも、なんとなくわかる気がします。

 

そして、その後に、海辺にあるボルタンスキー作品の「心臓音のアーカイブ」へ。春、アーカイブした、自分の心臓の音を再び聞いて来ました。

 

春の私の心臓の音は、とても一生懸命に、力強く脈打っていました。

 

2度目でも、やっぱり感動しました。

自分の心臓の音に、鼓動の力強さに感動していました。

生きているということは、こんなにも力強いことなんだという、ただ、当たり前のことに、また感動していました。

 

だけれど、「”春の私”はもう存在していないんだなぁ」と思いながら、まるで他人の鼓動を聴くように”過去”の自分の心臓の音を聞きながら感動している自分もいました。

 

かつて”居た”自分と”失われた”自分の両方を感じていました。

 

この、心臓の音の主が、生きていても(身体があっても)、死んでいても(身体がなくても)、心臓の音を聞いて感じる想いは、もしかしたら、同じなんじゃないだろうか?とも思いました。

 

春、存在した私と、今、存在する私は同じだけど違うし、今の瞬間の私は次の瞬間にはあっという間に消えてなくなります。でも、確かに”存在”していました。例え、今、心臓の音をアーカイブしたとしても、もうアーカイブしたその瞬間の私は”今”存在しないのです。

 

結局、どんなに、生きている瞬間を物理的にとどめておこうとしてもイタチごっこで、物理的な”死”からは決して逃れられないし、物理的に時を止めることもできないのだなと思いました。そして、今の瞬間にしか、身体を持った私たちは存在することができないのだなと。

 

物理的に生きていることをとどめておく行為そのものが、まるで”死への抵抗”のように感じられたのかもしれません。

 

結局、死は誰にもとめられないし、みんな、生まれた瞬間からすでにゆっくりと死に向かっているのです。毎秒、死んで生まれているのです。

 

そして、死は、いつも、誰にとっても予測不可能で、突然なのです。

 

死因が、病気であれ、事故であれ災害であれ、たとえ余命宣告があり、心づもりがあったとしても、やはりそれは、いつも、誰にとっても、等しく、突然、訪れるものです。

 

自ら命を絶たない限り、「何時何分に死ぬ」と、予定が決まっているわけではないし、誰も命の期限をコントロールなどできないのです。

 

例えば、自分にとって大切な人の死に際、呼吸がだんだんと浅くなり、やがて心臓の鼓動が止まり、身体からはぬくもりが消えて冷たくなり、どんなに声をかけても目を覚まさず、動かず、話もできなくなって、「あぁ、もうこの身体には”命”がいなくなってしまったのだ、魂は飛び立ってしまったのだ」と”個体の死”を否応無く実感しなければいけない瞬間が訪れます。

 

亡骸は荼毘にふされ、骨になり、身体もこの世からなくなり、戸籍は除籍となり、死亡と記載され、その人の社会的なつながりともいえる証明が次々と消えていきます。

 

けれど、生きている人の日常は、変わることなく等しく流れ続けます。

 

そして、時折、受取手の居なくなった便りが不意打ちのように届いたり、その人が死んだという事実を思い出す出来事が起きる度に、”不在”を思い知らされたり、まだ”存在”を未練がましく願ったりするのです。そしてまた、そんな気持ちとは関係なく、変わらない日常がただ淡々と等しく流れ続けるのです。けれど、波が寄せては返すように何度もそれを繰り返しているうちに、不思議なことに、時とともに、だんだんとその波が穏やかになっていくのです。

 

そうしながら、自然と「死への抵抗」をあきらめ「死の受容」へと変容していっている自分を、ある日、見つけるのです。

 

そして、やがて気づくのです。

初めからすべてが「存在」しているだけなのだと。

 

生まれて以降、「時」は「死」へと向かい淡々と等しく流れ続けていくけれど、大切な人の「死」の悲しみや寂しさやショックを癒し、救うのもまた、淡々と等しく流れ続けていく「時」だけなのでしょうか。

 

不思議なものです。

 

きっと、「ささやきの森」には、そんな、時間の流れに似たものを感じたのかもしれません。もしくは、自分がそのような心境であったからこそ、そう感じたのかもしれません。死と再生を同時に繰り返しながら、移ろいゆく豊かな自然は、死も生も時間もただ、同時に、そこにあるだけでした。

 

 そして、東京都庭園美術館の個展の際に、ボルタンスキー自身がインタビュー映像でとても印象的なことを語っていたことを思い出していました。

 

私たちの身体は、鼻は祖父、目は祖母、口は父、耳は母、といったように、もう今では名前さえも忘れ去られた、かつて存在していた先祖の遠い記憶の寄せ集めでできていて、遥か彼方、気の遠くなるほど長い年月の記憶の集大成として存在しているというような内容だったのですが、それは、私たち自身が、かつて存在し、消滅したあらゆるものの記憶そのものでもあり、同時に今、存在しているあらゆるものでもあるということなのだろうなと思いました。

 

そして、それはすごいことだなと思いました。気が遠くなるほどのすごい道のりの果てに、今、私という、あなたという形が現れたのだから。それは、本当は奇跡みたいなことなのかもしれません。

 

そう考えた時に、心からの感謝にあふれて、私の中にすべてがあるのだから、遠慮なく、今を精一杯生きていきたいと素直に思えたのでした。

 

 

「大事なのは、鑑賞者自身が作品の中で役を演じ、鑑賞者自身が作品の一部になること」と、ボルタンスキーが語っていましたが、知らず知らずのうちに、私もまんまとボルタンスキー作品の一部として作品の中に迷い込み、自分の物語を作り上げていたようです。

そして、ボルタンスキー作品巡礼の旅は、一先ず、今回で一区切りできそうです。

 

そんなわけで、瀬戸内国際芸術祭も、残すところ後一週間で終わりを告げますが、私にとっては、ほんとうに素晴らしい旅となりました。こんなにもゆっくり一人旅をしたのは何年ぶりだろう?

 

また3年後、今回島で出会ってお世話になった方々に会いに行けるといいな。

 

最後に。

今回の豊島巡りでの誤算は、電動自転車が借りられなかったことだったのですが、ボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」を見終えた帰り道、アップダウンの激しい心臓破りの山道を必死に自力で自転車で登っている最中、ふと、今の破裂しそうなくらいにバクバクいってる心臓音こそをアーカイブできたら面白いのにな、でも、絶対にこの音はアーカイブできないんだろねと、ニヤケながら馬鹿なことを考えていた私は、その瞬間、すでに、”巡礼”が終えてしまったことを自覚したのでありました。

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”死への抵抗”から”死の受容”へ、そして”今を生きる” 私的ボルタンスキー考 その1

 (この文章は2016年10月28日に書いたものです。)

 

今年は、瀬戸内国際芸術祭の春季で、ボルタンスキー作品の「心臓音のアーカイブ」に出会って以来、秋分の日から始まった東京都庭園美術館での個展へも足を運ぶことになり、知らず知らずのうちに、何故か、ボルタンスキー作品に導かれてしまっている私ですが、いよいよもって2016年はまさに私にとって「ボルタンスキー・イヤー」と呼べるものになりつつあります。

 

と、いうのも、再度今秋、瀬戸芸夏季から発表された新作の「ささやきの森」へと訪れる予定だからです。

 

なので、先日の東京都庭園美術館での個展は、私にとって、春の”巡礼”から秋の”巡礼”への予告編となり、あらためて、私自身を再度、ボルタンスキー作品”巡礼”の旅へと導く面白い機会となったようです。

 

図らずも、春から始まってしまった、そんな私のボルタンスキー作品巡礼の旅は、一体全体、どこに向かってどう着地することやら、、、

 

せっかくなので、ボルタンスキー作品と共に変容していく自分自身の心境の記録を、ボルタンスキーにちなみ、「アーカイブ」として、書き綴っておこうと思います。

 

 

ボルタンスキーといえば、匿名の個人・集団の生と死、存在と消滅、そして記憶という一貫したテーマで作品を作り続けているフランス人アーティストですが、よくよく思い返してみれば、私が初めてボルタンスキーを知ったのは、今から約20年くらい前。渋谷ユーロスペースにて上映されていたアートドキュメンタリー映画祭にて「ボルタンスキーを探して」というドキュメンタリーフィルムを見たのがきっかけでした。

 

その当時、暇さえあれば映画ばかりみていた私は、渋谷ユーロスペースとかシネマライズ渋谷とか単館系のミニシアターが好きで、よく通っていたのですが、たまたま予告編で流れたアートドキュメンタリーというジャンルがとても面白く、さっそく興味津々に見に行ったのです。

 

その中でも、「死の気配」がただようボルタンスキーについてのドキュメンタリーは、大量に集められた写真や古着を用いた作品が、なんとも言い難い不気味さを放っていて、当時の私は得体の知れない怖さを作品に覚えたのですが、「アートとはこういう表現で問題提起ができるものなのだなぁ」と、興味がなかったインスタレーションに興味を持ちはじめたのもその時のボルタンスキーがきっかけだったように思います。

 

以来、ボルタンスキーは、いつの間にか私の心の中にこっそりと住み続け、そして2016年、突然、目を覚ますように、ひょっこりと再び、私の目の前に姿を現わしてくれたようです。

 

ちなみに、”脱け殻”のような大量の古着を集めたボルタンスキー作品をみると、同じ頃にたまたま見た、セルジュ・ゲーンズブールの「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」という映画を思い浮かべてしまうのだから、記憶の回路というのは不思議なものです。

 

この映画の中に、大量の古着の山の上で、ゲイのカップルが仲睦まじく会話しているシーンがあるのですが、ボルタンスキーの古着の作品とそのシーンが、何故か私の中で結びついてしまったようです。ちなみに、映画の中の古着の山は、まるで欲望を纏って着捨てた、行き場を失った肉の塊のように感じられました。

 

僧侶のような穏やかなただずまいで、祈りの場のような芸術作品を作るボルタンスキーと、欲望のまま、酒とタバコと女に溺れ、大衆作品を作った不良オヤジのゲーンズブールは、まるで正反対の存在のようですが、私の中では両者が「聖と俗」「死と生」の補完関係として、何故か融合してしまったのだから、人の記憶というのは面白いものです。

 

もし、両者に共通点を見いだすとしたら、2人ともユダヤ系フランス人であり、メタファーを用いた作品を通して、いつも全体主義的なものが押しつける正しさへの強い抵抗とか反骨精神みたいなものを表現しているところかもしれません。

 

一方は、過剰な死の表現のレクイエムとして、そして、一方は、過剰な生の表現のシャンソンとして。

 

そんなわけで、どうやら私にとってボルタンスキーの作品は「聖なるもの」と認識している記憶が元々あるようで、ボルタンスキー作品を体験することは、まさに”巡礼”という表現がしっくりくるようです。

 

たしかに、四国八十八ヶ所霊場のお遍路の地でもある香川県の、豊島まで、わざわざ作品を見るために訪れなければいけないこと自体が、まるで作品にたどり着くまでの道のりそのものがお遍路のようでもあります。

 

そして、深く「死」を見つめ、「生」を取り戻していく装置としての場というところもまた、よく似ているようにも思えます。

 

では、お遍路とボルタンスキー作品巡礼の違いは、宗教と芸術の違いはなんであるのでしょうか?

 

ボルタンスキー自身がインタビューで次のように語っています。

 

 「私の作る作品は、形としては宗教的な場所や儀式のコピーだが、美術作品はそもそも儀式的宗教的な形式なのではないか。芸術と宗教は大いに関係がある。美術館は今の時代の新しい教会だ。でも、宗教との違いは”答えを求めない”ということで、それが重要なのだ」

 

「自分は”答えのない”問いを投げかけ続けることによって作品を作っているけれど、宗教はそこに常に答えを用意している。」

 

そして、「心臓音のアーカイブ」と「ささやきの森」は「神とつながるのではなく人とつながるための作品」だそうです。

 

芸術作品の問いかけの答えは、鑑賞する人、一人一人違うものであり、その問いをどう捉え、感じ、一人一人がその答えを見つけ出すことにこそ、意味があるということなのですね。作品とは受け取る鑑賞者がいてこそ真実完成するもの。

 

ボルタンスキーが全体主義的なものを拒否し、一人一人の存在を大切にするように。

 

余談ですが、「美術館は新しい教会である」というボルタンスキーの言葉で、以前、参加したWSでの「美術館は墓場か?テーマパークか?」という問いかけを思い出しました。

 

もしかしたら、美術館とは「墓場」「教会」「テーマパーク」が三位一体となった場所のようなもの?そう考えるとなんとなくしっくりくるのは、私だけでしょうか…

 

そして、芸術祭とは「祭り」と書くように、「マツリゴト」でもあり、ある種、「変容のためのセレモニーが執り行われる場、空間、もしくは、装置」ともいえるのかもしれません。

 

それは、ある一定期間のみ夢のように立ち現れて、祭が終わると共に跡形もなく消えて無くなる、ケガレをミソグ、ハレのセレモニー。

 

そして私たちはケの世界に再び戻っていくのでしょう。

 

 

 

 

続きを後日その2に書きたいと思います。

 

 

 

 

(その2に、つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あきちゃった天使

(以前作ったショートショートです)

 

 

なんかさぁー、


あきちゃったんだよね、天使。


まず、羽。


飛ぶのがさ、けっこう重いわけよ。


飛んでばかりいるせいか、


足が退化しちゃってねぇ。


足腰きたえないと


寝たきりになっちゃう。


まぁ、なかなか年もとらないから


介護される日も何万年も先だから


悩むこともないんだけど。


羽、肩凝るのよ!


次はファッションね。


いつもスケスケの白い布とか


葉っぱ一枚だったり


ヘタすりゃ素っ裸でしょ?


たまにはオシャレしたいわけよ。


あ、でも近頃の映画でみる仲間は


スーツ姿だったり


割りとフォーマルスタイルよね。


でも白か黒ばかりでしょ。


真っ赤な着物の天使がいたって


いいわよね!


ところで天使って、寿命長いし


なかなかやめられないでしょ?


だから、仕方ないから代わりに


人間にイタズラすることにしたの。


やめたいことがあるのに


やめられないって人を見つけては、


耳元にこう囁くの。


「やめちゃえ~やめちゃえ~」って。


ただそれだけなんだけど。


そうやって、いつも


暇つぶししてるんだよ。


で、そうこうしてたら、


気づいた時にはこう呼ばれてたの。


「悪魔」ってね!

 

 

 

おしまい

自立

ダブルバインドの連鎖

ピラミッド型社会

力の奪い合い

不信感と不安感

そういうのなんかしんどいね。


正義感からの怒りのエネルギーは

パワーは強いけど

最後には

自分にも毒がまわって、

自分も焼き尽くしてしまうね。

もう

そういう原動力は

卒業したいな。


だからって、愛が強すぎるのも

自立しようとする子供の手足を削いで

芽を摘み、溺れさせ

子宮にもどしてしまうくらい毒がある。

「呑み込む太母」にもなりたくない。

 

自立する

通過儀礼の痛みは

回避せず

味わう

それが

自然。


自然は

かんたんに

思い通りになんて

なかなかならない。

だからこそ

面白い。

 

結局、自他を信じる

それしかないのかな。