(この文章は2016年11月1日に書いたものです。)
春から始まったボルタンスキー作品を巡る、巡礼の旅の締めくくりとして、秋の巡礼の旅の地”豊島”に、再び訪れました。
春季と同様、自転車にて、風を感じながらの自然豊かな島巡りを満喫しました。
秋の豊島は、春を彩っていた景色とはまったく違う美しさで、再び私を迎え入れてくれました。
ちょうど稲の収穫時期なのか、首を垂れた稲穂がたわわに実り、段々畑は一面、黄金色に彩られ、海と空の青色とのコントラストがとても美しく、島内のいたる所に、ピンク色の秋桜、黄色いセイタカアワダチソウ、銀色のススキが咲き乱れ、木々はオレンジ色のみかんや柿がたくさん実をつけていました。
四季の移ろうその光景は、まさしく島の名前そのままに豊かなものでした。
早速、ボルタンスキーの新作の「ささやきの森」へ。
自転車を駐輪場に停めて、山道を20分程歩いて登っていった、緑深い森の中に作品がありました。辿り着く前に、すでに、チリンチリンと風鈴の音が森の中のどこからか聞こえてきて、誘われるように辿り着きました。
薄暗い森の中に、無数の風鈴が、透明の短冊をつけて、風に揺れて、チリンチリンと心地よい音色を奏で、時折、木漏れ日が透明の短冊を照らし、揺れる度に光が反射する様子がとても心地よく、木の長椅子に腰掛けて眺めたり、風鈴の森の中を歩いたりしながら、長い時間をすごしました。
ボルタンスキーが新作について語っていたように、とても心が穏やかになるような空間でした。
この作品には、希望すれば、大切な人の名前を(亡くなった方、生きている方どちらでも)風鈴の短冊に残すことができ、この作品も「心臓音のアーカイブ」同様に、鑑賞者が参加し続けるかぎり未完成の、終わりのない作品のようです。
この作品には、「死」や「消滅」という言葉につきまとう不穏さや、喪失感、寂しさはあまり感じず、どちらかというと、残り香のように漂いながら、暖かく何かが包み込んでいるような、柔らかい優しい空気を感じました。不思議です。
鳥や虫の鳴き声、循環する森の緑、空間すべてが生き物の息吹に満ちているからかもしれませんが、ここでは、見えるもの見えないものが、ただ、一緒に”在る”ことの心地よさしか感じられませんでした。ボルタンスキーが「愛の森」と言ったのも、なんとなくわかる気がします。
そして、その後に、海辺にあるボルタンスキー作品の「心臓音のアーカイブ」へ。春、アーカイブした、自分の心臓の音を再び聞いて来ました。
春の私の心臓の音は、とても一生懸命に、力強く脈打っていました。
2度目でも、やっぱり感動しました。
自分の心臓の音に、鼓動の力強さに感動していました。
生きているということは、こんなにも力強いことなんだという、ただ、当たり前のことに、また感動していました。
だけれど、「”春の私”はもう存在していないんだなぁ」と思いながら、まるで他人の鼓動を聴くように”過去”の自分の心臓の音を聞きながら感動している自分もいました。
かつて”居た”自分と”失われた”自分の両方を感じていました。
この、心臓の音の主が、生きていても(身体があっても)、死んでいても(身体がなくても)、心臓の音を聞いて感じる想いは、もしかしたら、同じなんじゃないだろうか?とも思いました。
春、存在した私と、今、存在する私は同じだけど違うし、今の瞬間の私は次の瞬間にはあっという間に消えてなくなります。でも、確かに”存在”していました。例え、今、心臓の音をアーカイブしたとしても、もうアーカイブしたその瞬間の私は”今”存在しないのです。
結局、どんなに、生きている瞬間を物理的にとどめておこうとしてもイタチごっこで、物理的な”死”からは決して逃れられないし、物理的に時を止めることもできないのだなと思いました。そして、今の瞬間にしか、身体を持った私たちは存在することができないのだなと。
物理的に生きていることをとどめておく行為そのものが、まるで”死への抵抗”のように感じられたのかもしれません。
結局、死は誰にもとめられないし、みんな、生まれた瞬間からすでにゆっくりと死に向かっているのです。毎秒、死んで生まれているのです。
そして、死は、いつも、誰にとっても予測不可能で、突然なのです。
死因が、病気であれ、事故であれ災害であれ、たとえ余命宣告があり、心づもりがあったとしても、やはりそれは、いつも、誰にとっても、等しく、突然、訪れるものです。
自ら命を絶たない限り、「何時何分に死ぬ」と、予定が決まっているわけではないし、誰も命の期限をコントロールなどできないのです。
例えば、自分にとって大切な人の死に際、呼吸がだんだんと浅くなり、やがて心臓の鼓動が止まり、身体からはぬくもりが消えて冷たくなり、どんなに声をかけても目を覚まさず、動かず、話もできなくなって、「あぁ、もうこの身体には”命”がいなくなってしまったのだ、魂は飛び立ってしまったのだ」と”個体の死”を否応無く実感しなければいけない瞬間が訪れます。
亡骸は荼毘にふされ、骨になり、身体もこの世からなくなり、戸籍は除籍となり、死亡と記載され、その人の社会的なつながりともいえる証明が次々と消えていきます。
けれど、生きている人の日常は、変わることなく等しく流れ続けます。
そして、時折、受取手の居なくなった便りが不意打ちのように届いたり、その人が死んだという事実を思い出す出来事が起きる度に、”不在”を思い知らされたり、まだ”存在”を未練がましく願ったりするのです。そしてまた、そんな気持ちとは関係なく、変わらない日常がただ淡々と等しく流れ続けるのです。けれど、波が寄せては返すように何度もそれを繰り返しているうちに、不思議なことに、時とともに、だんだんとその波が穏やかになっていくのです。
そうしながら、自然と「死への抵抗」をあきらめ「死の受容」へと変容していっている自分を、ある日、見つけるのです。
そして、やがて気づくのです。
初めからすべてが「存在」しているだけなのだと。
生まれて以降、「時」は「死」へと向かい淡々と等しく流れ続けていくけれど、大切な人の「死」の悲しみや寂しさやショックを癒し、救うのもまた、淡々と等しく流れ続けていく「時」だけなのでしょうか。
不思議なものです。
きっと、「ささやきの森」には、そんな、時間の流れに似たものを感じたのかもしれません。もしくは、自分がそのような心境であったからこそ、そう感じたのかもしれません。死と再生を同時に繰り返しながら、移ろいゆく豊かな自然は、死も生も時間もただ、同時に、そこにあるだけでした。
そして、東京都庭園美術館の個展の際に、ボルタンスキー自身がインタビュー映像でとても印象的なことを語っていたことを思い出していました。
私たちの身体は、鼻は祖父、目は祖母、口は父、耳は母、といったように、もう今では名前さえも忘れ去られた、かつて存在していた先祖の遠い記憶の寄せ集めでできていて、遥か彼方、気の遠くなるほど長い年月の記憶の集大成として存在しているというような内容だったのですが、それは、私たち自身が、かつて存在し、消滅したあらゆるものの記憶そのものでもあり、同時に今、存在しているあらゆるものでもあるということなのだろうなと思いました。
そして、それはすごいことだなと思いました。気が遠くなるほどのすごい道のりの果てに、今、私という、あなたという形が現れたのだから。それは、本当は奇跡みたいなことなのかもしれません。
そう考えた時に、心からの感謝にあふれて、私の中にすべてがあるのだから、遠慮なく、今を精一杯生きていきたいと素直に思えたのでした。
「大事なのは、鑑賞者自身が作品の中で役を演じ、鑑賞者自身が作品の一部になること」と、ボルタンスキーが語っていましたが、知らず知らずのうちに、私もまんまとボルタンスキー作品の一部として作品の中に迷い込み、自分の物語を作り上げていたようです。
そして、ボルタンスキー作品巡礼の旅は、一先ず、今回で一区切りできそうです。
そんなわけで、瀬戸内国際芸術祭も、残すところ後一週間で終わりを告げますが、私にとっては、ほんとうに素晴らしい旅となりました。こんなにもゆっくり一人旅をしたのは何年ぶりだろう?
また3年後、今回島で出会ってお世話になった方々に会いに行けるといいな。
最後に。
今回の豊島巡りでの誤算は、電動自転車が借りられなかったことだったのですが、ボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」を見終えた帰り道、アップダウンの激しい心臓破りの山道を必死に自力で自転車で登っている最中、ふと、今の破裂しそうなくらいにバクバクいってる心臓音こそをアーカイブできたら面白いのにな、でも、絶対にこの音はアーカイブできないんだろねと、ニヤケながら馬鹿なことを考えていた私は、その瞬間、すでに、”巡礼”が終えてしまったことを自覚したのでありました。
おわり