「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

一足早いクリスマスプレゼント

2016年も、早いもので残すところあと一週間となりましたね!

 

今週末は、老若男女お待ちかねの楽しい楽しいクリスマスですが(笑)、今日私は、一足お先に素晴らしいクリスマスプレゼントをいただきました〜。

 

ちょうど外国の美術大学の一学期を終えて年末年始に一時帰国したばかりの、かつての教え子と、ついに10年越しの再会を果たしたのです〜!!

 

やったぁ〜〜〜〜!!\( ˆoˆ )/

 

その教え子から、インターネットを通じて私のところに突然連絡が入ったのは、ちょうど約一年前。

 

かつて主宰していた絵画教室を閉めて、当時まだ小学生だった教え子たちとはまったくの音信不通になって約10年、まさかこんな形で、電波での再会を果たすことになるなど思ってもみなかったので、教え子からの突然の連絡には本当に驚いて、喜んだのですが、

あれから更に約一年後、ついに、本人と直接の再会を実現することができたのです!

 

すごぉ〜〜いっ!!!

 

こんなことって、実際におこるんだなぁぁ〜〜。

 

なんといいますか、ちょっと大袈裟ですけど、ホントに頑張って生きてきてよかったなぁ〜〜と、今日は思いました〜。

 

そのくらい、本当に嬉しかったのです!

 

 

10年ぶりに教室当時のコミュニケーションノート(交換絵日記)も持ってきてくれて、ちょー懐かしすぎて、思わず泣きそうになりました(笑)すごく綺麗に保管してくれてるんだもの!

 

しかも、10年前の私の描いた絵、自分で言うのもなんだけども、うまかった(笑)

 

そして、一番なにより嬉しかったのは、やっぱりかつての話よりも、成長した今の教え子に会えたこと。そして、今の教え子が学校の授業で描いたデッサンや絵をたくさん見せてくれたこと、今の話や、これからの夢や目標をたくさん聞かせてくれたことでした。

そして、かつて自分も同じように悩み、勉強してきたことを、こんな形でシェアすることができたのも嬉しいことでした。

 

しみじみ、こんな風にまた、違う形で教え子と関われる日がくるなんておもってもなかったので、有難いなぁ〜、自分はつくづく幸せ者だなぁ〜と、今日はしみじみと感じています。

 

2016年、締めくくりにこんなサプライズプレゼントが待っていようとは…(笑)

 

これだから、人生は面白い。

来年もきっと良い年になりそう(^^)

 

 

 

 

 

 

 

108 その2

(*2015年12月に書いた文章です)

 

さて、昨日の朝の小話をひとつ。。


昨日は午後からの外出まではちょっとゆっくりできるとばかりに、のんびり起床とお布団でぬくぬく至福タイムをグズグズ決め込んでいたのですが、

(単に寒くてお布団から出たくなかった(ーー;))

すっぽりみのむしスタイルの私の元に母が、突然あわあわしながらやってきまして、


「大変だよぉぉ~!どうしようかねぇ~!
入れ歯を洗濯機の裏に落としちゃったよぉぉ~!!あんた取ってくれないかい~?」


と。。。

 

 


…母よ


なんで今なのよっ!!


(T . T)ぐっ…


緊急要請だ、仕方ないわねっ!!


斯様にして、みのむしは母の入れ歯に至福タイムを奪われた。。。


否、怠け者は、このようにして叩き起こされるのであります。(T . T)


巣から出て、ぶちぶちいいながら、懐中電灯を地震グッズから引っ張りだし、洗濯機裏を照らし出すと入れ歯発見!
が、手が届かない!


なんちゅーところに!!


…もう(T . T)


起き抜けの頭であらゆる知恵を絞って、そして、なんとか母の入れ歯を無事救出!


そして入れ歯を見ながら安堵する親子。。


「もう、お願いだから、洗濯機の裏だけはやめてよぉぉぉ!」


と、捨て台詞を吐きながら母を見ると、あっという間に母は入れ歯を装着しておられた。。


「命の次に大事な入れ歯だよぉ~。今日はあんたがいてくれて本当によかったよぉぉ~」と母。

 


…母よ


入れ歯の順位高すぎやしないか!?


( ̄◇ ̄;)


命の次って!!


…まぁ確かに母は食いしん坊ですからね。


母の飽くなき食への興味は素晴らしく。


いつも旅番組を見ながら、新聞広告のチラシを見ながら、雑誌や新聞を見ながら、、あれが食べたいこれが食べたいと夢を膨らませる母に、いつしか御供物のようにご飯をせっせと作り食べさせるようになった私。。


母は地蔵か仏さんか!


( ̄◇ ̄;)


なので、入れ歯さんはかなり母の喜びに貢献してくれている「恩人」…否、「恩歯」、、、


母の幸せを支えている大事な存在!


いやはや私、朝からいい事したな。


グッジョブ!


母にお礼を言われ、ご飯を美味しそうに食べる母を見たら満足した単純な娘であった。。


さて、今日は何を食べさせてあげようかしら、、、( ´ ▽ ` )

 

108 その1

(*2015年10月に書いた文章です)

10月8日といえばお友達のお誕生日なんですが、


彼女はいつもスカートをはいていて、のほほ~んとした、天然系ののんびりした話し方をする、ふわっと柔らかな女の子らしい人なんですが、、、


わたしったらね、あろうことか、、、


そんな可愛らしい彼女のお誕生日を、、


…どーしても、


…どーしても、


『108 =いれば=入れ歯』


としか、覚えられなくてですね、、、


(T ^ T)


…ホンットに、ごめんなさい(T ^ T)


それからというものの、彼女を見ると反射的に『入れ歯』って言葉が浮かんでしまうようになりまして、、、( ̄◇ ̄;)


終いには、入れ歯を見るたびに、彼女を思い出しまして、、、(>人<;)


あーーーっ!!(>人<;)


あたいのバカッ!!


どおしてもっと、まともな語呂合わせが思いつかなかったのかしらん、、(T ^ T)


彼女と入れ歯になんの共通点もないじゃない!


今は疎遠になってしまった彼女、


元気かしら、、、


(T ^ T)

 

 

 

『入れ歯』といえば、


亡くなった父上の『入れ歯』。


自宅看護中の生前の父上は、ごはんを美味しく食べるために、ギリギリまで訪問歯科の先生に入れ歯の調整に来て頂いたお陰もあって、


亡くなる前日まで好きなものをしっかり食べられたのですが、


(最後の晩餐が寿司と餃子でしたからねぇ。。父上らしい。。(^_^;))


亡くなって4日目、自宅に御安置していた父上のラストメイクを化粧師さんにしてもらった時に、


「入れ歯を外して、代わりに綿を詰めた方がお顔がふっくらしていいですよ~」


とのことで、その時入れ歯を外してもらったのですが、その後、うっかり棺に入れ忘れてしまいまして。。


ガーーン!!∑(゚Д゚)


し、しまった~!!


『入れ歯さん』も父上と燃え尽きる予定が!


大事な相棒の『入れ歯さん』をこの世においていってしまったじゃないか!!


あんなにギリギリまで大活躍してくれた『入れ歯さん』!


父上と一心同体だった『入れ歯さん』!!


二人はあの世とこの世に離れ離れ!!


父上、すまん!!


(T ^ T)

 

…そんなわけで今でも置いてけぼりになった父上の忘れ形見『入れ歯さん』の処分に困ってましてねぇ。。


はてさて、どおしたものか、、、
(ーー;)


なんとなくそのまま捨てるのもね、『入れ歯さん』の功績を思うと気が引けましてねぇ。。


『入れ歯さん』にとってステキな第二の人生の行き先はないかしらん。。


なかなか処分できないのは私の『執着』なのかしらん、、、


それとも、父上が
『もうちょっと食べたかったなぁ~』
っていう食への想いを『入れ歯さん』に託したのかしらん、、、


『食べる=生きる』ですからねぇ。


どちらにしても、『入れ歯』なだけに、『108=煩悩の数』ってことで。


はい。


そもそも生きること自体が、煩悩か。


ははは。

 

 

時は『食欲の秋』。


今日も煩悩のままに美味しく秋の味覚をいただきますかねぇ。。

食べるは生きる その3

なんで人はご飯を食べるんでしょうね?


近頃は健康維持の為の色んな食事スタイルの人がいるよなぁと思ったり。


ベジタリアン
粗食中心の食事、
炭水化物なし、
食べ合わせや食べ順。。


選ぶ食材や食べ合わせ、方法もバラエティーに富んでます。


やってみたらすごく効果があった、なかったというのは人それぞれ。良い悪いではなく、各々の方法や摂取する食材の質がどれだけそれぞれの人の体質にマッチするか。単に合う合わないなんでしょう。。


最近では1日1食とか2食とか、腹6分~8分とか、よく噛むとか、週末断食とか、食事時間帯とか、食事摂取量の方法も色んなスタイルがありますよね。


私も基本1日2食です。


飽食で、栄養過多、生活習慣病が万延する現代人には3食とか満腹よりも、量を減らしコントロールするのはかえって良いんじゃないかと私も思います。


その方が燃費いいし(笑)


成長期の子供とか肉体的に栄養を沢山必要とする人は別として。


昔の人も1日2食だったりしましたしね。。


量を減らす。


それどころか、以前何かで読んだのですが、水以外全くなにも飲まず食べずに”気”だけを取り入れながら何年も普通に生活しているなんて人も実はいらっしゃったりするみたいですね。。

 

…せ、仙人!?( ̄◇ ̄;)


…リアル霞を食べている?!( ̄◇ ̄;)


食事スタイル以前に最早、生命維持活動でもある食事という行為をやめてしまってるんですから。。それでも生きられるんだ、、、って驚きましたが。。


うーむ。。


…食べなくては生きられないってのはもしかしたら思い込み?食べずに生きることがほんとはできるのかも?


 

たしかに時々、食べることが面倒くさくなることもあります。


いっそ食べないで済むなら色々と楽だろなって。


これは断食の時の強烈な感覚体験が由来かもしれませんが、、、


断食中、ある一定の状態を超え食べない状態に慣れてくると、不思議と何を見ても全く食べたいと思わなくなります。


あの時の「食べなければ生きていけない」という絶対に逃れられない根本欲求の呪縛からの大きな解放感。。


あれがね。。(笑)

 

それから意外と日々、「食べる」ために時間をたくさん割いて生活してますし。


3食食べる時間。
3食作る時間。
食材を買う時間。。
食後の片付け。。


食べる行為がなくなったら時間も増える?


オマケに食べ過ぎ由来の病気も減る?

 

これだけ生活の中で時間を割いているということは、それだけ生きていくうえで「食べる」って重要な行為ってコトなんでしょうし、健康まで左右されるコトなわけでして。。


…なんか食べない方がもしかしたらちょっといいんじゃない?


 


と、おもったのですが、もし食べなくても生きられたとしても、やっぱりなにも食べないって楽しくないかもな。


面倒くさくても食べる行為をやめるって生きる楽しみを放棄するみたいでつまらないかもしれない。。


文字通り「味気ない」


人生から味を奪われちゃうんじゃないだろか。。


味は「どう感じる?」のセンサーで。


自分の素直な感情への直通センサー。


そのセンサーを放棄しちゃったら、人間である意味なくなっちゃうような気がする。。


そのセンサーで感じた喜怒哀楽が生きてる世界を文化を作ってるんだものね。。


だから人間は究極、潜在能力的に食べなくても平気なのかもしれないけど、やっぱり肉体があって食べることができる以上は食べたり飲んだりすることを楽しんだ方が絶対面白いよな~っと思ったのでありました。


「食べる」は世界を感じる喜怒哀楽の感情センサーだからね。

食べるは生きる その2

しみじみ「食べる」って行為は不思議だなって思います。


なんで食べるんですかね?


食べなきゃ死んじゃうんでしょうけれど。


単なるガソリンみたいに生きるための動力のエネルギー補給なんですかね?


だとしたらエネルギーになればなんでもかんでも食べちゃえばいいのでしょうが、そういうわけにもいきません。


食べられるもの、食べられないものがありまして。


そして食べられるか食べられないかをなにをもって判断するのか。。


食べた時にどう感じるか。


美味しいか、不味いか。


いわゆる味覚さんの出番です。


甘い、辛い、塩っぱい、酸っぱい、苦い、、、旨い、、、


熱い、冷たい、サラッ、ツルッ、ネバッ、ねとっ、ふわっ、ふかっ、ザラッ、とろっ、ポロッ、ほろっ、ヌメッ、カリッ、サクッ、ボリッ、ガリッ、もちっ、べチャッ、ぐちゃっ、ジュワッ、シュワッ、ピリッ、ビリッ、ジンジン、ツーン、、、


オノマトペにしたら、沢山でてきますね、食感が。色んな舌触りの第一印象たち。


まだまだあるんでしょうが。


オノマトペだけみると、味覚を感じる食感は触覚と似てますね。味覚と触覚は五感の中でも感覚的にすごく近いのかも。


舌触りですものね。


そこから連想して。


赤ちゃんが生まれて一番最初の食事がおっぱい。そして、だんだん歯が生え始めて離乳食になって。だんだん固形物を食べられるように。


母乳って確か、血液と同じ成分なんですよね。味覚でいうとあまり美味しくなさそうだけど、一番最初に覚える味なんですよねぇ~。


ちなみに私は残念ながら母乳味をしりません。ミルク育ちなんで。。


それから、赤ちゃんの時期はなんでもかんでも先ずは口に入れて食べられるか食べられないかをやりますね。食物以外に。


兎に角、口に入れて確認する。
口で判断。


自分以外のものを確認する作業の入り口が「口」。漢字そのままですね、まさに「入り口」(笑)


すごく原始的ですよね~。


唇からなんだよなぁ。


ちなみに唇の形って葉っぱの形とか天の川銀河を横から見た形にも似てますよね。


言葉を発するのも唇だし。


…あぁ、連想がめくるめく広がりました(笑)


「食べる」っていうのは自分以外を確認するって事=自分を確認するって事なのかもしれないなぁ。

食べるは生きる その1

忙しくなると手を抜いてしまいがちになるのが食事。。

 

料理するのはやり繰りと創作なんで、とても好きなのですが、時間的にゆとりがなく日々の雑事に追われてそうもいっていられなくなると、食事が単なる”エネルギー補給”になってしまう場合がありますよね。。


作るのも適当になったり。
出来合いのものを買ってきたり。


ま、それはそれでたまにはよいのですが。。

 

しみじみと、食は大事だなぁと思います。


幸い、私は食べ物の好き嫌いがほとんどありません。食い道楽な母親に育てられたのもあり、偏見なくなんでも美味しくいただきます。


が、やはり体質に合わない食材というものはあるようです。


残念ながら、乳製品やお肉類、脂っこいもの、添加物バリバリのお菓子などを食べると覿面に体調が悪くなります。


好きなんですが、なぜか!

 

あと、メンタルが落ちてると逆にそういうものを欲しますね。ある意味バロメーターになってます。


むかし、あまりにも体調がおかしくなった時期があったので、一時期、肉と乳製品をやめて、ちょっとだけベジタリアンになった時があったのですが、その時は結構体調よかったかな。


あと一時期、人参リンゴジュース断食にはまりまして、自宅で定期的に断食をしたり。


これがまた爽快で!


断食明けのおかゆ、湯豆腐のなんとも言えない美味しさときたら!

 

…でもね、行き過ぎるとこれがまた楽しくないんですよ。。外で食事を分かち合う楽しみがことごとく奪われますから…


”食事”自体の美しさとかシチュエーションとか創作物を単に楽しむ喜びとかね。。

 

結局、あの頃はビーガンにはなりきれませんでした。


良さはわかるのですが、原理主義的になりすぎてもうまくいきませんね。。

何事も程々ですね。。
バランスよく。


しかしながら、やはり体質はあるなぁ。。やはり、合わない食材は合わないんだよなぁ。。


最近、またしても痛感して考えています。


根本からの体質改善だなぁと思案してます。元々、身体もそんなに強くないし。小児ぜんそくは治りましたが。


食事のバランスの見直し時期。


さぁ、どうバランスとろうかな。


食事って、酸性とアルカリ性のバランスですものね。やはり、和食中心に立て直しが良いのかもな。発酵食品とかメインに。

 

以前、ぬか漬けも始めたいと考えながら、なかなかできなかったので、来年こそは、とりあえず、マイぬか床作りから始めるかな!来年はもっと、麹菌さんとか菌さんたちと仲良しになりたい!

泥に咲くハスの花

俳優、成宮寛貴さんの引退という寝耳に水なニュースがなぜだか妙に心にひっかかった。

 

そして、なんとなく「泥の中で咲くハスの花」が思い浮かんだ。

 

ハスの花は泥の中から首を出し、美しい花を咲かせる。汚い泥水だからこそ、大きな美しい花を咲かせるらしい。

 

よく、泥水を人生における苦境や困難と例えて、哀しみや苦しみによって美しい花を咲かせると、仏教的な意味合いで語られる花でもある。極楽浄土の花などとも呼ばれる。

 

花言葉は「清らかな心」とか「神聖」「沈着」など。

 

そして、ハスの花といったら蓮根。今時期、収穫期を迎え食卓に並ぶ、あの蓮根。天ぷらにしたり、きんぴらにしたりと美味しいあの蓮根は、ハスの花が咲き終わった後に泥の中の地下茎が栄養を蓄えて太ったものだそうだ。

 

ちなみに蓮根はとても栄養価が高い。

 

ビタミンも豊富で、風邪やアレルギーの喘息や花粉症にも効果があるそうだ。

(流行病が席巻する今時期、意識的に食してみるのはどうだろう?実に理にかなっている…)

 

それから、蓮根は縁起物でもある。

蓮根の沢山空いた穴を「先を見通す」に通じるとして、おせち料理などの慶事の食材として用いられる。

 

汚い泥水を吸って、夏に美しい大輪の花を咲かせるハスの花の命はわずか4日であっても、その後にはさらに、汚い泥の中で沢山の栄養を蓄えた蓮根として豊かに実る。

 

花も実も最後には結実する。

 

なんて豊かな花なんだろう…

 

 

そんなハスの花と蓮根を思い浮かべながら、話を最初にもどそう。

 

俳優の成宮さんといえば、周知の通り、演技力があり容姿端麗でとても魅力的な俳優さんというイメージだけれど、なぜだか私の中では、昔、「ウルルン滞在記」に出演されていた時の成宮さんのイメージがずっと残っている。

 

番組では、成宮さんはフランス・パリの花屋さんでフローリストとして修行されていた。その様子は、とても生き生きと楽しそうだった。

 

そして、なにより花を扱うセンスが素晴らしかった!なんて感性の豊かな方なんだろうと、勝手に感動した覚えがある。それから、お洒落なパリのお花屋さんが本当にとてもお似合いだった。

 

「男性女性」といったジェンダーの観念的な背景とか、はたまた文化的要因からなのか、よくわからないけれど、残念ながら、日本では、日常的に花を愛でたり、贈ったりする習慣を持つ男性が少ないという印象が私の中では強いせいか、余計、テレビで見たフローリスト修行をする成宮さんの姿がとても自然体で印象深かったのかもしれない。

 

(誤解のないように書いておこう…日本にも素敵な男性フローリストさんはたくさんいらっしゃるし、花の愛好家もたくさんいらっしゃいます)

 

一方で、幼い頃から色々とご苦労されてこられたということも、別の番組で知った。そして、その話もとても印象深かった。

 

人が誰かに対して感じて受け取る印象というのは、発信する人の意志とは無関係に、その時々で受け取る人それぞれのものとなってしまうわけだけれど、今回、なぜだか私はこんなことを思い出した。

 

大好きな俳優さんだ。

これからも変わらずに、ご活躍を陰ながら応援している。