読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「いいゆめ・ゆし・きぶん。」

イラストレーター佐藤右志の脳内備忘録ブログ

からだがあるわたし。その2

日々の頭ん中

すごくややこしい話をする。

 

もしかしたら今までの私は、「身体がある」という意識がとても希薄な人間だったのではないかと、最近 やっと自覚した。

 

というより、無意識に「身体がある」ことに抵抗し続けてきたのかもしれない。

 

それは何故かと考えてみたら、無意識に「身体があることがすごく窮屈」と感じながら生きてきたからだと思う。

 

身体に魂が拘束されて、閉じ込められて、周りから断絶されている感覚、身体があるが故の不自由さ、いつも、身体という境界線が私と誰か・何かを区別し隔てているが故に感じる孤独。

 

あらゆる区別や条件に関係なく、身体を飛び越えて、精神が、心が、自分と誰かや何かの境界線を溶かして、どこまでも繋がりたいのに、身体が邪魔しているように感じるジレンマ。

 

かと思えば、心の同化が行き過ぎて、その後、自他の違いの現実を思い知っては、結果、違いを受け入れられない時に、裏切られたと感じたり、傷ついたり。もしくは、そうなるのが怖くて、身体を相手と自分を隔てる壁や鎧のようにして、心を閉じ込めて自分を守り孤立していったりするのかもしれない。

 

心と身体のズレ。
置いてけぼりを食らう、身体、もしくは心。

 

今までそんな感覚をたくさん経験してきたように思う。

 

そして、これは私独自の感覚ではなく、多かれ少なかれ誰しもが生きていく途上のあらゆる場面で経験する共通の感覚なのでは?とも思う。

 

何故なら、極端な言い方をすると、人が抱える悩みの多くは、大抵、大元を辿れば、身体性に由来するものばかりだと思うからだ。

 

人種・性別・容姿・セクシャリティ・身体能力・出自・家族構成・生育環境・貧富・生老病死など…

 

こういった諸条件は「身体を持つ」が故に発生する。

 

身体を持ったが故に発生した条件や区別に縛られながら、人は日々生きている。

 

そして、その条件は存在する人の数だけ違うし、同じものなどは1つとしてなく、存在する人の数だけのバリエーションがある。

(さらに、かつて存在した人の数だけバリエーションの記憶もある)

 

そして、「生きる」ということはきっと、自分や相手に与えられた「身体性から発生した初期設定」を受け入れた上で、いかにそれを楽しめるか、面白がれるかなのかもしれない。

 

そして、その初期設定自体を無視して否定し受け入れずにいると、徹底的に初期設定を思い出させるような出来事ばかりが起こったりするのだなぁとも思ったり。

 

当たり前のことだけれど、身体と心は切っても切れないものなのだし、身体がないとこの世では生きてはいけない。

 

そして、時に、心よりも身体の方が本当の答えを知っていたりすることもあったりする。

 

手のひらを合わせる時、自分の右手と左手が、疑いもなく同時に動きズレることなくピタリと重なるみたいに、自分の心と身体のズレが消えて一体化していった時に、きっと、色んな条件や区別からも解放されて、真実、自由自在になれるのかもしれない。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泥に咲くハスの花

日々の思いつき

俳優、成宮寛貴さんの引退という寝耳に水なニュースがなぜだか妙に心にひっかかった。

 

そして、なんとなく「泥の中で咲くハスの花」が思い浮かんだ。

 

ハスの花は泥の中から首を出し、美しい花を咲かせる。汚い泥水だからこそ、大きな美しい花を咲かせるらしい。

 

よく、泥水を人生における苦境や困難と例えて、哀しみや苦しみによって美しい花を咲かせると、仏教的な意味合いで語られる花でもある。極楽浄土の花などとも呼ばれる。

 

花言葉は「清らかな心」とか「神聖」「沈着」など。

 

そして、ハスの花といったら蓮根。今時期、収穫期を迎え食卓に並ぶ、あの蓮根。天ぷらにしたり、きんぴらにしたりと美味しいあの蓮根は、ハスの花が咲き終わった後に泥の中の地下茎が栄養を蓄えて太ったものだそうだ。

 

ちなみに蓮根はとても栄養価が高い。

 

ビタミンも豊富で、風邪やアレルギーの喘息や花粉症にも効果があるそうだ。

(流行病が席巻する今時期、意識的に食してみるのはどうだろう?実に理にかなっている…)

 

それから、蓮根は縁起物でもある。

蓮根の沢山空いた穴を「先を見通す」に通じるとして、おせち料理などの慶事の食材として用いられる。

 

汚い泥水を吸って、夏に美しい大輪の花を咲かせるハスの花の命はわずか4日であっても、その後にはさらに、汚い泥の中で沢山の栄養を蓄えた蓮根として豊かに実る。

 

花も実も最後には結実する。

 

なんて豊かな花なんだろう…

 

 

そんなハスの花と蓮根を思い浮かべながら、話を最初にもどそう。

 

俳優の成宮さんといえば、周知の通り、演技力があり容姿端麗でとても魅力的な俳優さんというイメージだけれど、なぜだか私の中では、昔、「ウルルン滞在記」に出演されていた時の成宮さんのイメージがずっと残っている。

 

番組では、成宮さんはフランス・パリの花屋さんでフローリストとして修行されていた。その様子は、とても生き生きと楽しそうだった。

 

そして、なにより花を扱うセンスが素晴らしかった!なんて感性の豊かな方なんだろうと、勝手に感動した覚えがある。それから、お洒落なパリのお花屋さんが本当にとてもお似合いだった。

 

「男性女性」といったジェンダーの観念的な背景とか、はたまた文化的要因からなのか、よくわからないけれど、残念ながら、日本では、日常的に花を愛でたり、贈ったりする習慣を持つ男性が少ないという印象が私の中では強いせいか、余計、テレビで見たフローリスト修行をする成宮さんの姿がとても自然体で印象深かったのかもしれない。

 

(誤解のないように書いておこう…日本にも素敵な男性フローリストさんはたくさんいらっしゃるし、花の愛好家もたくさんいらっしゃいます)

 

一方で、幼い頃から色々とご苦労されてこられたということも、別の番組で知った。そして、その話もとても印象深かった。

 

人が誰かに対して感じて受け取る印象というのは、発信する人の意志とは無関係に、その時々で受け取る人それぞれのものとなってしまうわけだけれど、今回、なぜだか私はこんなことを思い出した。

 

大好きな俳優さんだ。

これからも変わらずに、ご活躍を陰ながら応援している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

からだがあるわたし。その1

日々の頭ん中

最近、私の心が私の身体と仲直りし始めているのを日々感じている。

 

なんじゃそりゃ?って思われるかもしれないが、仲直りって言葉が一番しっくりくる表現だから、その通りにとりあえず書く。

 

私の心が私の身体さんに「ただいま〜」と言って、私の身体さんが私の心に「おかえり〜」って返す、そんなやりとりを、半年間くらい、もしかしたらそれよりもっと以前から、無意識に本当はやりたくて、そして少しずつやり始めていたのかもしれないなと、最近、ふと、気づいた。

 

そして、最近はそんな「おかえり〜」と「ただいま〜」のやりとりが無意識から意識的になり始めている。

 

更に、最近はそんな「ただいま〜」と「おかえり〜」のやりとりが、前よりもできるようにちょっとずつなってきたかも?とも思う。

 

と、同時に、振り返ると以前は、「ただいま〜」と「おかえり〜」のやりとりがすごくテキトーだったかもしれないとも気づき、思い出すにつれ「ごめん。私の身体さんよ…」と私の心は身体さんに語りかけずにはいられないのだ。

 

ぞんざいな扱いを受け続けてきたにも関わらず、健気にもいつも支え続けてくれた私の身体さんよ…

 

私の心は無言で、「ただいま〜」も言わずに、「おかえり〜」と言いたい身体さんを無視し、お腹がすいたからとりあえずガソリン補給みたいに快感中枢の感じるままに食べて飲んで身体さんに負担をかけ、お風呂もカラスの行水みたいに済ませて身体さんを丁寧に扱わず、健気に私の心に話しかけたい身体さんの話も聞かずにサッサと眠りにつき、翌日も身体さんの「いってらっしゃい〜」を聞かずに私の心は身体さんに冷たく接して生きていたように思う。。

 

まるで、ワーカホリックな旦那とそれを黙って支え続ける古風な妻みたいな例え話だけれど、大袈裟だけどそんな風にだったかもと感じた…

 

(笑)

 

このままでは、妻に逃げられる…

そして、妻に逃げられる時こそ、あの世に行く時なんでしょう…だって、心が身体さんを失う時は、死を意味する時なのだから。

 

それはイカン!(笑)

本末転倒!身体を失っては意味がない!

これでは浮遊霊だ!(笑)

 

もしくは、ただ風雨を避けて寝るだけの、最早、巣としてだけの機能と化した手入れもされない家と、その家人のような。

 

 風雨で長年傷ついたところも気づかぬふりして放置して、修理もせず、磨くことも飾ることもせず、なんだか可哀想なことをしてきたなと、一人反省会をするに至った私。

 

最近やっと、ちゃんと身体さんの声を聞きたいなぁと、身体さんを労わり、大事にし始めたら、どうやら、身体さんがそれに気づいて、身体さんも喜んでくれて、そのうち、私の心に以前とは違うように話しかけ始めてくれるようになったと感じる。

 

そんなわけで、私の心と私の身体さんのコミュニケーションがだんだんと楽しくなってきたようなので、しばしこの調子で「ただいま〜」と「おかえり〜」のやりとりを楽しく続けていこうかなと思う。

 

そしたらきっと、私の心と私の身体さんが、いつか、長年連れ添った老夫婦みたいに、なにも言わずとも「あうんの呼吸」になる日が来るかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偏愛上等!

日々の頭ん中


以前、虫を偏愛する「虫屋さん」の虫愛に感動した感想をサクッと書きましたが、そういえば私にも偏愛する生き物が身近に、、、

 

そう、それは、、、

我が家で溺愛しているウーパールーパー2匹。

 

栗顏のルーさん!(ゴールデン)

イチゴ大福顏のウーさん!(リューシ)

 

こ・の・こ・た・ち(笑)


…(。-_-。)ぽ


我が家の自慢のウパたちです!

 

きゃーっ!(≧∇≦)

 

 

…不思議なんですけど、日に日に愛が増すんですよね~。
いつまでたっても全然、飽きないんですよね~!長年一緒に暮らしていた、星になった愛犬あーちゃんの時もそうでしたが!


このこたち、特段なにか芸をするわけでもないし、私に直接なにかするわけでもないんですが。ただ日がな一日のほほんと、水中でそよそよしてるだけなんですが(笑)水中生物ですからスキンシップできませんしね。


でも、でも、、、


見るたびにキュンキュン、一人悶えているんですよ私!かわいくてたまらないんです!

突然、発作的にたまらなくなって、
「きゃ~わ~いい~~っ!!(ハートがいっぱい周りを飛ぶ)」
と、叫んでしまいます!


(。-_-。)デレッ


どうすればこのトキメキがとまるんでしょうかね?目下のところ、それが悩みです!


ウパにトキメキ悶える日々!(笑)


かわいいんですよ~。


あはは(^ ^)

 

こんなノロケる姿はバカ丸出しですが、何かをとことん好きになるって、バカになるってことなのでしょうね!


なりふり構わない。
人が何と言ってもどーでもよいしやめられない。


偏愛って、そういうことなんだろね。


他を否定したり排他的になるってわけではなく、ただ自分が理屈抜きに好きだってことだけを見つめ、とことんバカになって追求し続ける。


だから、偏ってよいのです。


集中しすぎてたまに周りが見えなくなっちゃうことも、まぁあるでしょう(笑)
夢中ですから(^_^;)


でもそのくらいに一つくらい何かにのめり込んで完全燃焼できるものがあればよい。


自分は絵を描いたり、文書いたり、ものを作ることですが。

 

「踊る阿呆に見る阿呆、
同じ阿呆なら踊らな損損」


見る阿呆でも踊る阿呆でも、どっちでも阿呆になってしまうくらい何かに熱中夢中になればよし。

 

わたしは踊る阿呆でいつづけたいな~。

 

わはは(^ ^)

 

一対一野球の手の抜き方

日々の頭ん中

以前、「一対一野球」という、甥っ子が小さい頃によく野球の遊びと称した練習に付き合っていた話を笑いを込めて書いたのですが(一本前の11月30日の記事)、そういえばと、思い出したことがあります。

 

 

それは、”一対一野球の手の抜き方”について。

 

一対一野球はまともに付き合うとクッタクタになります。

 

(詳しくは、1つ前の「一対一野球」を読んでください。)

 

子どもの要求というのは、そのまま優しさのみで受け止め続けていると、どんどん調子こいてエスカレートするばかりなので、時々、調子に乗らせすぎない”工夫”をすることで、上手に手を抜いて付き合い続けておりました。

 

というより、私じゃなく、

義理の兄が(笑)

 

甥っ子の父親です。

(私の姉の旦那さん)

 

いや、工夫というよりも、最早、大人の悪知恵と申しましょうか(笑)”愛ゆえに”と、申しましょうか。。

 

そのへんは流石に実の父親で男。やり方はちっとも大人的ではないし、理不尽だし、徹底的に容赦ないです(爆)

 

基本、甥っ子のバッティングの練習相手として、大人がずっとピッチングをしてあげるのですが、私の場合、”たくさん当てた打てたできた!”という達成感を心から味わって欲しい、そして調子に乗って自信をつけて益々野球が好きになって欲しいと、打ちやすいボールをずっと投げ続けてあげていたわけなんです。なので、要求に応えるかの如く、ずっと全力で付き合う私の方は最終的にクッタクタになるのですが、子どもにしてみれば思い通りになって、きっと達成感と満足感で一杯でしょう。

 

ですが、義理の兄の場合は違います。

 

基本は私とおなじで達成感満足感を味わってもらうなんですが、そこに時々程よい”試練”をちょいちょい挟みます。

 

え?程よい試練!?

 

ちょっと大袈裟な言い回しですが、そうだな、難関、壁、スンナリいかない、なかなかどーにもならない、うまくいかない感っていうんですかね。

 

ゲームでいうところの障害物みたいなものとでもいいましょうか。

 

それはどーいうものかというと、子どもの欲求は底なしなので、大人側は体力的にも全力でずっと練習に付き合い続けると疲れるし、一方的で面白くもないので、時々ワザとピッチングで暴投したり(ボールはその度に甥っ子に取りにいかせる。その間体力回復(笑))いつもより、実力的に打てないような早いボールを投げ続けたりして、甥っ子がナイスバッティングをできないようにワザとしむけるのです。(笑)

 

はい、突然の大人の特権、力の行使!

ええ、ええ、やり方が超大人気ないです!そして、理不尽この上なく容赦ないです!

 

甥っ子にしてみれば、突然ボールを気持ちよく打てなくなり、今までと違い、自分の都合よく合わせてくれなくなったのがわかるので、不愉快極まりないし、思い通りにならないから、ちっとも楽しくありませんよね。

 

そして、子どもは本能的に大人には絶対に力じゃ敵わないのがわかってますから、どーにもならないとみるや、ついには怒り出します。「ずるい!」とか知りうる限りの言葉を並べたてて抗議したりします。そして、立ち向かってなんとしても打とうとしたり。

 

でも、ここが義理の兄のさじ加減のうまさ。様子をみて、面白がって笑い流しながら、何事もなかったかのように、また打ちやすいボールを投げて気分をあげてあげたりするわけです。そして、また調子に乗ってきたら試練を挟むという(笑)この繰り返し。その様子はコントみたいなんですが、結果的に、山あり谷ありのほうが、甥っ子の、男子特有の負けず嫌いを刺激されてやる気になってりして、最終的に満足度が増してたりもしてて。

 

この飴と鞭の使い分け!

このツンデレ感!

 

そうやって、義理の兄は、ワザと時々程よく甥っ子に打たせない時間をつくりつつ、自分の体力回復を測りながらもトコトン子どもの遊びに付き合っていたわけでした。

 

なるほどなーと、今更ながら思います。

 まぁ、もちろん、やり方には賛否両論はあるでしょう(笑)ケースバイケースですが、嘘も方便的というか、ジレンマ加減が素晴らしく(笑)

 

一時のことならば、全力でトコトン付き合うのもいいでしょう。けれど、長く付き合い続けるには、程よい”手抜き”=”遊び”が必要です。一方通行では長くは付き合えません。偏るとどっちかがくたばります。

 

大事なのは、決して、自分の都合のいいように相手をコントロールするためではなく、自分と相手が対等に、お互いが気持ちよく面白く付き合い続けられるようにする工夫。一歩間違えると、相手をコントロールすることになりかねませんから、お互いが楽しむことが前提となります。

 

大抵の女子は、飴と鞭ならば、飴を求めて、そして飴を与えたくなるものですが、義理兄の鞭使いの”優しさ”の真髄をみるにつけ、飴だけではいかんなぁ、程よい飴と鞭のバランスが大事だなぁ〜と思うのでありました。

 

”厳しさ風味の優しさ”、”どーにもならない理不尽さ故の面白さ”というのも、ある意味、愛の形ですからね。

 

 

 

 

 

 

 

一対一野球

子どもと遊び

 

野球といえば、甥っ子のやまと。

地元の少年野球チームに所属していて、毎週末になると朝早くから練習に試合にと頑張っているらしいです。


なにやら随分上達したようで、なかなか活躍しているらしいのですが、、、

 

「…ふっ、
そりゃそうでしょ。。。」


と、遠い目をしながら思ってしまう私。


…そう遠い目をしながら、、、
( ̄ー ̄)


ええ、ええ、

彼には相当付き合いましたからね、私。

( ̄ー ̄)


彼が小さい頃、どれだけ野球に付き合ったことかっ!

 

それはそれは忘れもしませんよ。

真夏の1対1野球の日々を…
( ̄ー ̄)

 

当時5歳のやまとは野球を覚えたてで、野球で遊ぶ時にはバッティングがメイン。ボールをいかに遠くまで打てるようになるか練習したくて仕方なかったようです。


従いまして、そんなやまとくんに付き合う2人野球は常に、


やまと→バッターのみ

私→ピッチャー
ファースト
セカンド
サード
ショート
ライト
レフト
センター
時々キャッチャー

攻守の交替一切なし!


という、圧倒的に不公平な対戦スタイルでした。


ええ、ま、5歳児相手ですからね。。




…ところが、


やまとくん、パッカンパッカン遠くまで打ちまくりましてね。


!!( ̄◇ ̄;)


5ちゃいだからと舐めておりました


身体が小さいのでストライクゾーンが狭く、更には打ちやすいようにとピッチャーとしては丁寧にゆっくりいい球投げてあげていたわけですよ。。


そしたらですね、


容赦ない5歳児の彼は右に左に真ん中にと
ナイスミート連発しまくるんですね…


あぁ、優しい叔母心が仇となり


私はピッチングするや、即、外野手に早変わりです。


後ろを誰も守ってやくれてませんからね。


真夏の公園をいい大人が必死に白球を追いかけている間に、5ちゃいの彼は架空のベースを一塁二塁三塁とぐるぐる嬉しそうに走ってホームイン。

 

…って、おいっ!!!(ーー;)

 

不利だよ不利っ!
不公平だよ不公平っ!


しかしながら、相手は5歳児。
唯我独尊。
理屈なぞ通じません。


「まぁ、彼のバッティング技術が向上すれば良い」と大人的理由で、「こんなことはなんでもないさ」的な顔をして、圧倒的理不尽を飲み込んで付き合い続けるも、そんな大人なぞに全く遠慮なく続く容赦ないやまとくんのナイスバッティング…


延々と続くランニングホームラン。。
永遠に来ない守備交代。。


あぁ、、いつの間にか、自らがピッチングマシーンを兼務しながら、やまとくんのノックを受けているような図。。高校のソフト部時代の真夏のノックの再現か!


あの5歳児は、天使のように無邪気なお顔をして、なんてサディスティックなんでしょう!


(T ^ T)


こんな1対1野球の相手をよく日が暮れるまで付き合ってあげたのですよ。私。

 

やまとよ、忘れたなんて言わせんっ!

 

忘れてたって、
いつまでもずっと応援し続けてやる!

自然界はシンメトリー。写真家・今森光彦さん『自然と暮らす切り紙の世界展』に行ってきました!

感想

今日、たまたまテレビをつけたら写真家の今森光彦さんがトーク番組に出てらして、つい嬉しくて見入ってしまいました。大好きなんです!

 

生き物への愛に溢れてる!

フィールドワークが楽しい!

わくわくする!

 

いーなぁー!

わたしもフィールドワークしたいなぁ!里山に住みたいなぁ!できればミニ里山開墾してそこで実ったものを食べたり絵を描いたりしながら暮らしたいな!もっと知らない土地に出かけて、色んな人に出会って、虫とか花とか生き物見つけて愛でたいなぁ!女今森さんになりたいなぁ〜〜。って、思いながら見てました。ははは。

 

面白いなぁって思ったお話が、日本の里山について、「熱帯雨林は大きな歯車みたいなもので、一ヶ所ダメになると一気に崩れるけれど、日本には星の数ほどに小宇宙のような小さな里山がたくさんあって、細かくそれが集まって日本ができているから本当は強いんです。」という内容。

 

海があるところも里山とお考えだそう。

北海道から沖縄まで縦長の地形の、海もあって山もある日本。きっと知らないだけで色んな里山がてんこ盛りなんでしょうね!そんなに面白い場所がたくさんあるのに、このまま知らないで終わっちゃうのはなんかもったいないなぁ〜。

 

今まで見逃しちゃったけど、今森さんの監修の里山の番組全部みたくなりました。そして、行ってみたいな!

 

去年、日本橋にて今森さんの切り紙の作品展に行った時の感想を書いたことを思い出したので一緒にアップします。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 (*2015年5月に書いた文章です)

 

GW中に日本橋三越にて開催されていた、写真家の今森光彦さんの展覧会『自然と暮らす切り紙の世界展』に行ってきましたので感想を。

 

写真家の今森光彦さんは生まれ育った滋賀県の琵琶湖を望む田園にアトリエを構えられています。そして、世界各国を訪ね、生物の生態を追求し広く世界の辺境まで取材をされています。又、里山保全活動や幅広い野外活動などもされていらっしゃいます。

 

今森さんのもう一つのお顔は「切り紙作家」。今回の展示では、平面から立体まで約300点程の切り紙作品を展示されていました。


ちょうど今森さんのトークショウのタイミングで、ご本人から制作についての色んなお話を直接聞くことができました(^ ^)


先ず、ご自身のアトリエは自ら土地を開墾して元々あった檜を伐採し、クヌギやコナラなどの雑木林を植えて、里山の生態系を作られたとのこと。そこには色んな虫や花が育っているそうです。


そして、そこに住む虫やお花などを主にモチーフに切り紙を制作されているそう。


切り紙作品はどれもハサミ一本だけで作られたというのだから驚きです!


カッターなどは一切使わないそうです。


基本的には、切り紙は紙を二つに折ってシンメトリーに切り上げるそう。
それが今森さんの切り紙の原点。


なぜなら、自然界は左右対称のシンメトリーで構成されているから。


虫も魚も鳥も花も葉っぱもなんでもシンメトリーですものね。


うん。ほんとに。


歳時記を彩る自然のモチーフの切り紙もたくさん展示されていました。


花、雪、野菜、栗、兜、鯉のぼり、お雛様、鶴、海老、、、


そして、白地の背景に色紙を何枚も重ねてコラージュのように作られた切り紙作品は少しデフォルメされた形が面白く色鮮やかで躍動感にあふれ圧巻でした。

 

今展示作品の図録のトケイソウとハチドリの切り絵。美しかった!


こちらの作品は、シンメトリーに切り上げる切り紙とは違い、しっかりとしたスケッチと”計画”をもとに制作されるとのこと。


なるほど、なるほど。


形のデフォルメ、影の色合い、花と生き物の構図と画面構成。綿密な計画がないと仕上げられないですよね。

みていてワクワク。

ほんとに素敵でした~。


唯一の立体作品の昆虫の立体切り紙。
楽しかったなぁ~!


ヘラクレスオオカブトノコギリクワガタ、カブトムシ、オオムラサキアサギマダラ、、、

今にも羽を広げて飛び立ちそうな色とりどりの41匹の虫たち。


ずっと眺めていたかったなぁ。

自分も作って愛でたい!

なので作り方の本を買ってしまいました!

夏休みになったら、甥っ子姪っ子たちと作って遊ぼうかなと今から楽しみにしております。


今森さんの住んでらっしゃる滋賀県は、二番目の姉一家が数年前に住んでいたこともあり、しょっちゅう遊びに行っていたので、とても身近に感じる場所です。よく琵琶湖近辺や信楽にも行きました。懐かしい。


そんなことも思い出した展覧会でした。


今森さんの今後の里山や生態系保全の活動にも引き続き注目していきたいと思います。